ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

対立と進化

争いの多くは、価値観の対立から始まる。

現状の社会を維持したい層と社会を変えたい層。
その価値観とは、保守と革新と言い換えることもできるかもしれない。
一般的な傾向として、若者には革新的な考え方を支持する人が多く、年寄りには保守的な考え方を支持する人が多い。

若者はリスクを恐れず、新しい事に挑戦し、年寄りは過去の成功体験と安定を求め現状維持に固執する。
どちらかが正しいというわけではない。
どちらも、人類という種が生き残るためには必要だったのだろう。

リスクを恐れず、常に新たなフロンティアを求め続けたため、人類は世界中に移動し繁栄をしたのだ。

また、過去の成功体験を尊重し、特定の場所に定住し安定を求めたために、知識や富を蓄積し、文化を開花できたのだ。

大胆にして細心、アクセルとブレーキ。
ひとつの方向性や価値観に偏重することなく、矛盾した価値観の対立の中で、多様な個性が生まれ、人類の進化が促されている。

何が本当に正しいのかは、誰にも判らない。
だからこそ、全員が同じ方向を向かない多様性が尊重されるべきなのだと思う。

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キャッシュレス化の未来

消費税増税に伴うポイント還元の話題が出て以来、キャッシュレスの話題がにわかにクローズアップされてきた。

キャッシュレス化によって一体何が変わるのだろう。

かつて、プリペイドカードといえば、テレフォンカードくらいしかなかった。

テレフォンカードはセキュリティ対策が甘くおそまつだったので、偽造カードが大量に出回った。

その後、携帯電話の普及と共にテレフォンカードは衰退し、公衆電話そのものの数も激減した。

プリペイドカードのもっとも重要なポイントは、低コストで、いかに偽造、悪用されないカードを作るか、ということなのだ。

その後、セキュリティ対策が強化された様々な仕掛けのプリペイドカードが出現したが、どのカードもデファクトスタンダードにはなっていない。

しかし、キャッシュレスが本当に普及し、現金を使う機会がほとんどなくなれば、様々な変革を世の中に及ぼすように思う。

銀行やコンビニにおいてあるATMの機械。

あの機械の設置費用が高額なのは、お札の真贋を識別したり数えたりする仕掛けにコストがかかるからだ。
さらに機械の中に常に現金のストックが必要で、維持管理に人手が必要だからだろう。

一説では、ATM設置費用に数百万円(生体認証の機能など、どの程度のオプションを付けるかで変わるらしい)、ランニングコストが年間1千万円程度と言われている。

キャッシュレス化によって、現金を扱う必要がなくなれば、機械のコストは劇的に下がる。

取引データのやり取りだけなら、ハードもソフトもシステム維持のコストはほとんどかからない。

お金の本質は、貨幣や札束そのものではなく、交換価値という単なるデータだからだ。

このことは、ビットコインという仮想通貨の出現によっても、実験的に実証されている。

キャッシュレス化による全取引は、ビッグデータとして蓄積され、脱税やマネーロンダリングの防止にも役立つだろう。

お金は単なるデータだが、お金の流れや取引履歴は、経済そのものを反映している。

いずれにせよ、キャッシュレス化によって経済はガラス張りになるだろう。

そのことが、みんなのしあわせに資するのか、国家に管理された悪夢が到来するのか、それは判らない。

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確定申告

毎年の恒例行事だが、今年も確定申告に行ってきた。

必要な書類を揃えて、税務署に赴くのだ。

昨年までは高松税務署の会議室に端末を並べて事務処理をしていたが、今年からはサンポートの会場に変更になった。
そのおかげで、無料だった駐車場が、有料の地下駐車場になった。
駐車場代は、来年の申告の必要経費に算入する予定だ。

最近はどこもかしこもキャッシュレスの時代である。
JRのSuica、イオンのWAONカード、コトデンのIrucaなどなど。

これほどキャッシュレスが進めば、確定申告ももっと簡単になるはずだが、なかなかそうはいかない。

一例を揚げれば、医療費控除の集計などはもっと簡便にできるはずだ。

病院の診療は、必ず保険証を使って受けるので、カードを使って支払いをし、マイナンバーカードと紐付すれば、1年分の個人の医療費の集計など簡単にできる。
領収証の束を電卓で集計する必要はなくなるのである。

売上や必要経費についても同様である。

経済的な取引、契約は、もはや現金を介して行う必要はないのである。

スマホやインターネットが普及し、キャッシュレス時代といいながら確定申告の手続きは、いまだに前近代的なやり方をしているように見える。

正確で公平で効率的な申告、納税は、日本の国益に資するように思うが、だれも真剣にその課題を解決しようとはしていない。

残念なことだ。

 

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年齢を重ねる事の意味

年齢を重ねる事の意味とは、世界と歴史を理解することなのだと思う。

人は成長するにつれて、世界が広がってゆく。
自分が世界の一部であることを理解し、世界がいまの形になった歴史を学び、あるべき姿に世界を変えようとするのだ。

しかし、世界を変えようとすればするほど、世界はあるべき姿にはほど遠いことがわかるだろう。

過去の成功体験に捕らわれてはいけない。
それは過去の出来事だから。

未知なるだれか、未知なる明日はいつもやってくるのだ。

もしかすると、あなた自身が未来の希望かもしれない。

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公務員の資質

最近、テレビで「健康で文化的な最低限度の生活」というドラマを放送している。

生活保護受給者を支援する、新米の地方公務員、ケースワーカーの物語だ。

安定と平凡を求めて公務員になった主人公が、現実社会の中で様々な事情を抱えた受給者との関わりの中で、迷い、奔走し、成長していく内容になっている。

現実にありそうな悲惨な話を紆余曲折はあるものの、何となくみんなが納得できるような結末に持っていく展開は、ドラマとしてはよくできていると思う。

ドラマを観ていて感じたのは、公務員にとって必要な資質とは何だろう、ということだ。

公務員試験では、法律や経済、一般教養などの知識が求められる。
しかし、本当に必要な資質は、多くの知識ではなく、人としての高潔さではないかと思う。

残念ながら、今の公務員試験の制度では、公務員志望者の内面的な人としての高潔さまではわからない。
面接試験も行われてはいるが、それを評価する側のスキルも疑わしい。

最近の文科省財務省などの高級官僚の不祥事は、まさにこうした公務員の採用、人事の制度的な不備が原因である様に思う。

ほとんどの昇進試験や資格試験は、知識を問うことが主体になっている。
しかし、現実社会で知識を持っていることに、どれほどの価値があるだろうか。事務処理は、システム化、マニュアル化され、誰にでもできる仕掛けが作られているからだ。

残念ながら、民間企業は高潔な人間を求めてはいない。なぜなら、企業の目的は利潤の追求だからだ。

公務員や政治家にとって、高潔さこそが、優先順位の高い資質だと思う。

しかし、現実にはそうなっていないし、高潔さのかけらもないような人間がトップに立てしまう国や組織も散見される。

まったく不幸なことだが、これが現実なのだと受け止めることが解決の第一歩かもしれない。

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利己的と利他的

人間の本質とは、利己的だろうか?利他的だろうか?

誰しも一義的には自分自身の利益を最優先に考えるが、大局的な見地からは必ずしもそうではない。

人類の過去を俯瞰すると、歴史を動かしてきたものは、利他的な力だったのではないかと思う。

それは、愛する人のためだったり、家族のためだったり、民族のためだったり、国家のためだったり、人類のためだったりする。

よくよく考えてみれば、みんなが利己的な考えの固執していたら、人類はとうの昔に絶滅していただろう。

環境の変化や飢餓に耐え、人類が長い歴史の中で何万年も生きながらえてきたのはそれぞれの個人が利他的な行動をしたからに他ならない。

しかし、現代社会はどうだろう。

個人が、いくら利己的であっても、法律の範囲内で行動している限り何の問題もない。

それは、社会がそれを許すことができるほど豊かになった証拠とも言えると思う。

しかし、一方で利己的な行為は、環境問題や地球の温暖化の原因にもなっている。


最終的には「全体と個」の問題に帰結するのだろう。

「全体と個」の問題は、それほどに根深く、自己矛盾を孕んでいるように感じる。

 

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資本主義の本質

人間以外のほとんどの生物にとって、生きる事は食べ物を手に入れる事と同義なのだと思う。

人間もまた、自給自足の生活をしていた時代は食料を手に入れることに多くの時間を費やしていた。

やがて社会が成熟し、分業が進むと食料の生産は至上命題ではなくなる。

さらに、食料以外の生産が拡大し、消費社会が訪れるのだ。

消費社会こそが資本主義そのものなのだと思う。

オートメーションによって生産は効率化され、労働者は生産過程に組み込まれる。

生産された製品は、多くの労働者が購入、消費し、お金の循環が生まれる。
その結果、生産手段を持つ資本家に富が蓄積する、という構図である。

こうした工業化が進んだ時代には、人々の欲望は、より生活が豊かになる製品に対して向かっていた。

1950年代後半、家電3品目が『三種の神器』(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)としてもてはやされた。
さらに、新『三種の神器』が3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)と呼ばれるようになった。

資本主義における価値とは、資本、すなわちお金である。

お金があれば、欲しいものが何でも手に入る。

戦後の焼け野原や何もなかった時代を知っているものにとっては、身の回りに物が増えていくという状況こそが、豊かさの象徴だっただろう。

しかし、生まれた時から、すべてが揃っていた時代を生きている世代にとっては、お金や物質では豊かさを感じられないのではないかと思う。

初期の資本主義は、可処分所得の奪い合いだった。

現在の資本主義は、可処分時間の奪い合いだという。

お金は、人間が作ったものだから限りがない。
時間には、限りがあるからお金よりも価値があるのだろう。

現在、繁栄している会社の多くは、この可処分時間を奪っている企業が名を連ねている。

Google、Yahoo、AppleAmazon、Disneyなどなど。

何か製品を作っているわけではない、時間をお金に換えるサービスを提供しているのだ。

お金による支配から、時間による支配へ。

資本主義の本質も変遷をしているように思うが、何が人をしあわせにするのだろうか。

 

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