ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

資産とは?

個人の資産には、有形資産と無形資産がある。

有形資産とは、言うまでもなくお金の金額で評価できる資産である。

一般的に、有形資産の量と幸福度には相関関係がある。
お金持ちほど幸せなのだろうということは容易に想像できる。

ただし、ある一定の水準を超えるとそれ以上収入が増えても幸福度は上がらなくなるらしい。
その分岐点は、年収7万ドルと聞いたことがある。
つまり、年収が10万ドルでも、20万ドルでも幸福度はそれほど変わらないのだ。

「衣食足って礼節を知る」、「人はパンのみによって生きるに非ず」というわけだ。

そこで問題となるのが、無形資産である。

無形資産とは、お金以外の、愛、友情、健康、容姿、経験、学歴、スキルなどなどである。

お金で無形資産は買うことはできないが、無形資産を形成する上でお金がある方が有利に働くのは想像に難くない。


有形資産と無形資産のバランスこそが、しあわせの鍵である。

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労働の価値

社会人になって働きはじめた頃、自分の働きは自分の給料に見合っているのだろうか?とよく考えた。

仕事の業種は金融だったが、金融は何物も生み出さない。
お金を循環させることで手数料をもらうという発想はいかにも資本主義的だ。

当時の時代背景は、バブル景気前夜。経済成長が永遠に続くことを皆が信じて疑わなかった。経済成長こそが正義だったのである。

労働とは、マルクス的には付加価値の創出だが、現代のように分業が進むと自分の労働がどの程度世の中に貢献しているのかが判らなくなる。

すべての労働を数値化することは不可能だし、数値化できない部分にこそ大きな価値が含まれている。

収入や所得は、その人の社会貢献度に必ずしも比例していないのだ。

では、何をモチベーションとして働くべきなのか。

お金以外にモチベーションを求めるとすれば、それは「共感」なのかもしれない。

「いいね!」の数字は労働の対価ではない。しかし、確実に何らかの価値を形成している。

労働という苦行をロボットが担うようになった時、人間の労働の意味は確実に変化するだろう。

それでも人は労働の価値を求めてやまない。

どんな形であれ、労働こそが生きることだからである。

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サピエンス全史

「サピエンス全史」を読んだ。

ここ数年に読んだ本の中では一番示唆に富んだ本だったように思う。

人類がどこからきて、どこに行こうとしているのかを今までにないスケールで描いている。

単なる過去の歴史という視点以上に、今後の人類がどうなっていくのかという考察までが含まれている。

過去、人類は多くの発明や発見をしたが、そうした発明や発見をした先達の多くは、コンピュータもインターネットも知らないまま死んでいった人がほとんどだ。

今ほど誰でもが多くの知識、情報に触れることができ、自由にふるまえる時代は過去なかったように思う。

ありとあらゆる好奇心が満足させられる状況が出現したのだ。

好奇心を満たされた好奇心は、それで決して満足しない。

好奇心は、新たな好奇心を生むのだ。

だからこそ、人類、生物、地球、宇宙、世界を解釈する知識が爆発的に増大しているのだろう。

もはや特異点(シンギュラリティ)を超えてしまっているのは明らかだ。

それは恐慌を引き起こすまで際限なく成長を続ける経済の状況にも似ている。

しかし、その行き着く先は誰にもわからないが、そこに行きついてしまうことは皆が判っている。

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こころの持ち様

物事に対する見方、とらえ方、こころの持ち様ひとつで状況は大きく変わる。

ストレスを快感に感じる人もいれば、苦痛に感じる人もいる。

レジャーランドの絶叫マシンは、お金払って長蛇の列に並んででも体験したい人もいれば、一部の人にとっては拷問の機械にしか感じられないだろう。

あるいは、育児という行為を、「赤ん坊という独裁者に仕えるみじめな奴隷」とみなすか「新たな命を愛情深く育んでいる」ととらえるかで、人生の意味は大きく変わる。

幸せの形は人それぞれだが、それは少しずつ多様化しているようにも感じる。


それぞれの個人が、何を選択するかである。

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しあわせとは?

しあわせとは、何らかの欲望を満たすことだろうか?

現代においては、商業主義こそが欲望を作り出す。

本当は欲しくもないものを、みんなが欲しがっていると吹聴することで、欲しいと錯覚させ、需要を喚起しているのだ。

人々は、自己の内心ではなく、他人との比較で幸せ度を量る。

主観的な質ではなく、客観的な量こそが豊かさの証明であると信じ込まされている。

持っているものに満足することが、欲しいものをより多く手に入れるよりもはるかに重要であり、幸せである。

しかし、そのことに気づく人は少ない。

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価値観

人は自分の価値観でしか生きられない。

それは、それまで自分が生きてきた経験則に基づいて行動しているからだろう。

世界が激変している現代社会においては、その人が生きてきた過程で経験したことが
年代によって異なっている。

戦争を経験した世代。
戦後の食糧難を経験した世代。
高度経済成長を経験した世代。
バブル経済を経験した世代。
その後の失われた20年を経験した世代。

どの年齢で、どんな経験をしたかによって、その経験はトラウマとなり後々の人生に大きな影響を与えるだろう。

良きにつけ悪しきにつけ経験してしまったことは取り返しがつかない。

同時に同じ経験をしても、感じ方は個人で異なる。

経験はいつもその人だけのものだ。

知識は論理だが、経験は理屈ではない。

その結果、個性が生まれ、個人の自我が確立されるのだろう。

いずれにしても、他人の価値観は尊重しなければならない。

しかし、現代ほど価値観が多様な世界は有史以来初めてだろう。

インターネットによって様々な価値観が交錯している。

価値観は、普遍的なものとして何かに収束していくのか?

あるいは、さらに多様化が進んで混沌となるのか?

予断を許さない。

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家族

3人の子どもたちが大学進学を機に家を出て以来、卒業、就職、結婚といくつかのイベントはあったが3人とも完全に独立した生活を送っている。

妻に言わせると3人の子どもたちは「後ろを振り返らず、後顧の憂いなく」出て行ったという。

基本的に、子どもたちの生活に干渉しない、自分の事は自分で決めるという教育方針の成果かもしれない。

今の時代なので、LINEで連絡は取れているが付かず離れずの関係が続いている。

家族とは何だろう?


人生90年時代、いずれにしても、親は親の生活を確立するしかあるまい。

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