ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

年齢を重ねる事の意味

年齢を重ねる事の意味とは、世界と歴史を理解することなのだと思う。

人は成長するにつれて、世界が広がってゆく。
自分が世界の一部であることを理解し、世界がいまの形になった歴史を学び、あるべき姿に世界を変えようとするのだ。

しかし、世界を変えようとすればするほど、世界はあるべき姿にはほど遠いことがわかるだろう。

過去の成功体験に捕らわれてはいけない。
それは過去の出来事だから。

未知なるだれか、未知なる明日はいつもやってくるのだ。

もしかすると、あなた自身が未来の希望かもしれない。

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公務員の資質

最近、テレビで「健康で文化的な最低限度の生活」というドラマを放送している。

生活保護受給者を支援する、新米の地方公務員、ケースワーカーの物語だ。

安定と平凡を求めて公務員になった主人公が、現実社会の中で様々な事情を抱えた受給者との関わりの中で、迷い、奔走し、成長していく内容になっている。

現実にありそうな悲惨な話を紆余曲折はあるものの、何となくみんなが納得できるような結末に持っていく展開は、ドラマとしてはよくできていると思う。

ドラマを観ていて感じたのは、公務員にとって必要な資質とは何だろう、ということだ。

公務員試験では、法律や経済、一般教養などの知識が求められる。
しかし、本当に必要な資質は、多くの知識ではなく、人としての高潔さではないかと思う。

残念ながら、今の公務員試験の制度では、公務員志望者の内面的な人としての高潔さまではわからない。
面接試験も行われてはいるが、それを評価する側のスキルも疑わしい。

最近の文科省財務省などの高級官僚の不祥事は、まさにこうした公務員の採用、人事の制度的な不備が原因である様に思う。

ほとんどの昇進試験や資格試験は、知識を問うことが主体になっている。
しかし、現実社会で知識を持っていることに、どれほどの価値があるだろうか。事務処理は、システム化、マニュアル化され、誰にでもできる仕掛けが作られているからだ。

残念ながら、民間企業は高潔な人間を求めてはいない。なぜなら、企業の目的は利潤の追求だからだ。

公務員や政治家にとって、高潔さこそが、優先順位の高い資質だと思う。

しかし、現実にはそうなっていないし、高潔さのかけらもないような人間がトップに立てしまう国や組織も散見される。

まったく不幸なことだが、これが現実なのだと受け止めることが解決の第一歩かもしれない。

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利己的と利他的

人間の本質とは、利己的だろうか?利他的だろうか?

誰しも一義的には自分自身の利益を最優先に考えるが、大局的な見地からは必ずしもそうではない。

人類の過去を俯瞰すると、歴史を動かしてきたものは、利他的な力だったのではないかと思う。

それは、愛する人のためだったり、家族のためだったり、民族のためだったり、国家のためだったり、人類のためだったりする。

よくよく考えてみれば、みんなが利己的な考えの固執していたら、人類はとうの昔に絶滅していただろう。

環境の変化や飢餓に耐え、人類が長い歴史の中で何万年も生きながらえてきたのはそれぞれの個人が利他的な行動をしたからに他ならない。

しかし、現代社会はどうだろう。

個人が、いくら利己的であっても、法律の範囲内で行動している限り何の問題もない。

それは、社会がそれを許すことができるほど豊かになった証拠とも言えると思う。

しかし、一方で利己的な行為は、環境問題や地球の温暖化の原因にもなっている。


最終的には「全体と個」の問題に帰結するのだろう。

「全体と個」の問題は、それほどに根深く、自己矛盾を孕んでいるように感じる。

 

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資本主義の本質

人間以外のほとんどの生物にとって、生きる事は食べ物を手に入れる事と同義なのだと思う。

人間もまた、自給自足の生活をしていた時代は食料を手に入れることに多くの時間を費やしていた。

やがて社会が成熟し、分業が進むと食料の生産は至上命題ではなくなる。

さらに、食料以外の生産が拡大し、消費社会が訪れるのだ。

消費社会こそが資本主義そのものなのだと思う。

オートメーションによって生産は効率化され、労働者は生産過程に組み込まれる。

生産された製品は、多くの労働者が購入、消費し、お金の循環が生まれる。
その結果、生産手段を持つ資本家に富が蓄積する、という構図である。

こうした工業化が進んだ時代には、人々の欲望は、より生活が豊かになる製品に対して向かっていた。

1950年代後半、家電3品目が『三種の神器』(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)としてもてはやされた。
さらに、新『三種の神器』が3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)と呼ばれるようになった。

資本主義における価値とは、資本、すなわちお金である。

お金があれば、欲しいものが何でも手に入る。

戦後の焼け野原や何もなかった時代を知っているものにとっては、身の回りに物が増えていくという状況こそが、豊かさの象徴だっただろう。

しかし、生まれた時から、すべてが揃っていた時代を生きている世代にとっては、お金や物質では豊かさを感じられないのではないかと思う。

初期の資本主義は、可処分所得の奪い合いだった。

現在の資本主義は、可処分時間の奪い合いだという。

お金は、人間が作ったものだから限りがない。
時間には、限りがあるからお金よりも価値があるのだろう。

現在、繁栄している会社の多くは、この可処分時間を奪っている企業が名を連ねている。

Google、Yahoo、AppleAmazon、Disneyなどなど。

何か製品を作っているわけではない、時間をお金に換えるサービスを提供しているのだ。

お金による支配から、時間による支配へ。

資本主義の本質も変遷をしているように思うが、何が人をしあわせにするのだろうか。

 

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勝敗を分けるもの

ウィンブルドンテニスを観戦している。

テニスは自分でプレーしたことはないが、ライブを観はじめると途中で止めることができない。
一流選手のプレーは、それほど緊張感の連続なのだ。

どんなスポーツでも同じだが、観戦していて思うのはメンタルがいかに重要かということだ。

最終的に物をいうのは、フィジカルな面よりもメンタル面の差であるように思う。

ぎりぎりの状況の中で、ほんの些細な差が勝敗を分ける。

その真剣勝負に人が感動するのはなぜだろう?

それは生物が繰り広げる生存競争にも似てるように思う。

今生きている生物は、過去、一度も絶滅しなかったから今を生きている。

そんな、過去のDNAの記憶が人を熱狂させるのかもしれない。

 

今夜も寝不足になりそうだ。

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子どもの教育

縁あって、小学生に勉強を教えている。

若い頃から子どもに関わるボランティアをたくさん経験してきた。
仕事は、子どもとは無縁の業種だったが、いつか子どもと関わる仕事をしたいと思っていた。

子ども相手にボランティアをしていた頃、いろいろな親と子の関係を横目で見ながら、図らずも子どもをスポイルしている親を沢山見たような気がする。

しかし、そのほとんどは、子どもへの愛情が根源的な動機になっているのだ。
ごくレアな例を除いて、親の子どもへの働きかけは、愛情に基づいている。
しかし、残念ながら、それが上手く機能しない事も多い。

その多くは、子どもをひとりの人間として尊重することなく、自分の思い通りにコントロールしようとする所からはじまっている様に思う。

子どもにとって大切なのは、結果ではなくそのプロセスなのだが、多くの親は短期的な結果を求める。

子ども時代は、長い人生を生きるための自力を身に付ける期間だと思う。
学力はもちろん大切だが、いわゆる非認知能力(忍耐力、意欲、協調性、感情のコントロール、計画性など)こそが重要である。

親と子どもは、その関係が濃密であるだけに、当事者には関係性が見えにくくなる。夫婦なら離婚できるが、親子は縁を切ることができない。

そして、子どもは日々成長し、変化していくのだ。

子どもの成長には、親以外の多くの大人の手助けが必要だ。

わたしの活動が、そんな、子どもの成長の一助になればと思う。

 

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仕事

仕事には、2種類があると思う。

他の人に代替えが可能な仕事と、他の人には代替えが効かない仕事である。

現役で仕事をしていた頃、よく考えたのは、この仕事は私でなければ出来ない仕事だろうかという事だった。

誰にでも出来る仕事には魅力を感じない。
自分なりの工夫や独自性に意義ややりがいを感じていた。

アスリートや芸術家などの仕事は、他の人では代替えが効かない。

弁護士や医者のような専門職であっても、安心はできない。
グーグルが出現して以来、専門的な知識の価値は劇的に低下したからである。

代替えが出来る仕事とは、つまり、誰にでも出来る仕事とも言える。
さらに言えば、ロボットやAIに代替えが効く仕事とも言えるかもしれない。

デジタル的な仕事は、正確であることが求められる。
どんなに頑張っても、人間は正確さでロボットには敵わない。


私が考える、人でなければできない仕事、それは教育だと思う。

教育は、人を育てることによって、連鎖による拡大再生産を促し、更に、育てた人も育てられた人をも幸せにする。

人材こそが、尽きることのない無限の資源である。

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