ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

個性の価値

他人と違う個性にこそ価値がある。

個性の短所、長所の評価は表裏一体だ。
見方を変えれば個性は、短所にも長所にもなりうる。

地球上に生物が繁栄できたのも、多様性に鍵がある。
多くの生物が他の生物と違う戦略を取ったためだ。
その生物のうち、一度も絶滅しなかった生物が現在、地球上に繁栄している。

過去、食物連鎖の頂点に立つ生物の多くは、肉体的に物理的に力の強い生物だった。
しかし、ホモサピエンスは肉体的な力が劣っているのに知能というアドバンテージで繁栄を極めた。
人類という種は、その知能ゆえに種の中で更に多様性を追及しているように感じる。
全体が70億人にまで膨れ上がってしまったため、それぞれの個が、多様性を求めているようにも感じる。

他人と同じであることの安心感と個性的であることの誇り。
どちらを選択するのかも含め、多様性の成せるところなのだろう。

少なくとも、みんなが揃って同じ方向に行かなければ、人類絶滅の危機は避けられるかもしれない。

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人を動かすもの

人を動かすもの

それは、愛情、欲望、共感、理念、怒り、恐怖、思想、宗教。

これらの中で、最も尊重すべき価値観は何だろう。

人は尊重する価値観のために時に命さえ懸けるのだ。

そこでは冷静な判断が失われており、理性的ではないことが多い。

もっとも理性的な価値観、それは「共感」ではないかと思っている。

「共感」はつながりとしては弱いが、理性的にゆっくりと人々の中に浸透してゆく。


それは、「いいね!」のボタンなのかもしれない。

 

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積み木についての考察

積み木はおもちゃとしては地味であり、ニッチな存在だ。

しかし、太古の昔から人類は石を積んで、遺跡を作り上げた歴史がある。物を積み上げるという行為は、人間の本能なのかもしれない。

積み木は、昔からある遊びであり、創造力、集中力、論理的思考を養うのに適している。


10年ほど前、ヒノキの間伐材で一万個の積み木を作るプロジェクトに参加した。

この時、積み木遊びの面白さに目覚めた。積み木遊びは、大人でも十分に楽しいことが判ったのだ。

積み木で遊びながら、より良い積み木の条件について考えた。

1.積み木は、なるべくたくさんあった方よい。
  思い通りの形、造形が作れる。制約のストレスが減る。

2.積み木は、全部同じ形であった方がよい。
  パーツの種類は、増やすときりがない。パーツを探す手間が省ける。

3.積み木は、高く積んで崩れても怪我をしないサイズでなければならない。
  怪我など事故のリスクを最小限にすることは必須条件である。

以上の3つの条件をクリアする積み木は実は既に市販されている。

それは「KAPLAブロック」だ。
「KAPLAブロック」は、ある意味、積み木としては究極の存在なのではないかと思っている。

ただ、何事も100%ということはない。
「KAPLAブロック」のデメリットを強いて言うなら、積み木の数が多すぎるのだ。
複雑な形を作るにはたくさんの積み木が必要だ。そもそも、少ない数の積み木では面白くないからだ。

そこで、少ない数のパーツで複雑な形を作ることのできる積み木を考えた。

それが私の考えた、創作積み木「くっつみき」である。(写真を参照)

1セット16本のパーツで、複雑な形を作ることが可能である。
特徴は、パーツの両端の磁石で積み木同士をジョイントできる。
さらにパーツの真ん中にビスが付いていて、磁石とジョイントできる。
積み木ではあるが、「レゴ」のようなジョイント機能があるのだ。

程よい磁石の吸着力は、積み木の形の整形に寄与する。
比較的容易にくっついたり離れたりするので、3次元の複雑な立体を作り易い。
子どもでも容易に積み木を縦に5段ほど積み上げることも可能である。

就学前の子どもにとって、もっとも必要かつ有効な教育は非認知能力の養成である。
積み木という遊び道具は、一定の非認知能力を養うのに効果的ではないかと思っている。

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競争と共生

世界はどこに向かうのか?

経済、宗教、テクノロジーの行き着く先は?

競争とは?価値観とは?

努力は報われないことも多いという前提。

建前と本音が近づいた、のっぺりした社会になりつつある。
誰でもが評論家になれる時代だが、評論家で終わってしまっては意味がない。

自由な競争により社会に活力が生まれ、公平な共生により人々は幸せになれる。
努力が報われる社会が、公平なのか?

過度な自由競争も、政府による過度な干渉、再分配も好きじゃない。
では、どうすればいい?

そもそも経済格差は、情報格差から生じる。
経済は社会の成長と共に価値観が変化する。

資本主義の根源的な価値観は自由である。
資本主義の目的は、資本の増殖→無限に欲望が増殖する→手段の目的化

もともと何のために資本を増殖しようとしたのか?

政治的自由主義は、経済の自由主義から派生した。
殺し合いをしない競争とは、経済の競争である。

日本民族が農耕民族だから弱肉強食は好まないのかもしれない。

弱肉強食はもともとフェアーではない。

なにと競争するのか?
どのように共生するのか?

競争と共生の目的は、いかに生き残るかである。

競争によって、新しい価値が生まれる。
競争の果実は、全体が豊かになる。
格差は、突き詰めればマインドの問題である。

仕事は、生きるため、生きる事。
最終は、食べ物を作ること。

お金で換算できない価値とは?
シェアエコノミー、どうなったら満足出来る?
本当に欲しいものは?


人命の尊重→戦争と内戦を防ぐ
統治の安定→自由→民主主義→幸せ

競争の多様性
画一的な競争

共生は一体感を強いる。
競争にはまっている人ほど、競争から距離をとったふりをする。

ベーシックインカムは本当に有効か。
意欲のない者が増加する。

本来は、機会の平等を保証し、教育の機会均等を目指すべき。

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人類の未来

残念ながら人類の未来にそれほど楽観的な見通しは持っていない。
あらゆる状況、見通しが悲観的な指標を示しているからだ。

それでも残された未来の希望、それは子どもたちではないかと思っている。

就学前の早期の教育への投資が効率が良く有効なのは判っている。

重要なキーワードは以下の通り。

1.知的好奇心の刺激
2.他人との協調性
3.最後までやり抜く力
4.なにかを創造する力
5.誠実、感謝、情緒の安定

子どもたちこそが最後の希望なのだと思う、

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人生のリスク

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長い間、金融の仕事をしてきたので、ビジネスの事は一通り知っているつもりだが、逆に言うと世の中をお金という尺度で見てしまうという弊害があるのかもしれない。

過去の経験、成功、失敗、栄光、挫折、後悔はもはや取り返しがつかない。

過去ではなく、今を生きるべきなのだ。

 

これからすべきことを考えよう。

今、生きているこの瞬間にこそ価値があるのだ。

 

人生にはリスクがある。

しかし、死ぬこと以外たいしたリスクではない。

何かを選択することは、それ以外の選択肢を放棄することになるが、決断をしなければ何もはじまらない。

わたしも含め、多くの人は生きる事にたいしたリスクは取っていない。

 

だから何も始まらないのかもしれない。

 

行動こそが現状を変える。

いつやるの?

若いころ、勉強なんて本気になれば何とかなる。
いつもそう考えていた。

でも、なかなか本気になれない。
それは、なぜなんだろう?

何のために勉強しているのかよくわからない。
勉強が何の役に立つのかもわからない。
だから、やる気がおきない。

理由なしには頑張れない。
やる気が起きない。
理由と目的が見つかれば、頑張れるのに。
必死になれるのに。

いつもそう考えながら悶々としていた。

やらない言い訳はいくらでもあった。
でも、いつやるの?

人生に遅すぎるなんてことはない。
でも、いつやるの?

人生は早すぎるということもないんだ。

自分で決めて歩き出そう。

目的をもって、目標を決めて、夢を持とう。

誰かが言っていた。

でも、いつやるの?
今でしょ!

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