ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

ネットワークという求心力

単独の人間の力は、大自然の中では無力である。

しかし、人類は地球上の隅々にまで行き渡り、地球の環境を変えるまでに繁栄している。

その繁栄の仕方は、最近ニュースになった「ヒアリ」のようだ。

1ぴきでは弱い「ヒアリ」も集団になると他の種を凌駕するような力を発揮する。

人類が地球上で繁栄しているのもまさに、この集団の力なのだろう。

人間が集団として纏まり、力をつけるには求心力が必要だ。

有史以来、その求心力とは「宗教」だったのだと思う。

過去何千年かの間に、さまざまな宗教が世界中に広まった。

世界中で宗教と文明が発祥したタイミングが同じなのは偶然ではない。

世界遺産や過去の遺跡を見るとほとんどが宗教的な施設であることが多い。

現代のような技術も重機もない時代に、後世に残るような建造物を作ることができたのは、まさに宗教という求心力のせいだったのだろう。

人は、求心力によって集団として纏まると思いがけない力を発揮するのだ。

過去、宗教やカリスマにしかなかった求心力が、現代社会においてはネットワークによって形成されるようになった。

ネットワークの出現によって、個人は独立した存在であると同時に、繋がった存在になってしまった。

いずれにしても、今後は、ネットワークという求心力が世界を変えていくのだろうと思う。

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日本の教育

以前から、思っていることですが、日本の教育事情はお粗末そのものです。

少子化が進んでいるにもかかわらず、待機児童問題はなかなか解決しません。

高等教育の無償化も検討されていますが、実現する可能性は低いでしょう。

公教育の質が低下し、より良い教育を受けるのにお金がかかれば、お金持ちしか高等教育を受けられなくなります。

結果、貧困の世襲化が進み、社会の活力が無くなっていきます。

高齢者福祉の充実は、選挙対策にはなるかもしれませんが、日本の将来にとっては、あまりプラスにはなりません。

教育に投資し、将来の良き納税者をたくさん育てなければ日本の未来は暗いものになるでしょう。


かつて、我が家で実践した中学生の勉強方法を披露します。

わたしは、それを「ノート復習法」と呼んでいます。

勉強というのは、自学自習が基本です。
塾や家庭教師の弊害は、自学自習の習慣が身につかないことです。

仮に、一時的に塾や家庭教師で成績が上がっても、いつまでもは続きません。

そんな人は、高校に行っても、大学に行っても、社会に出ても、誰かの助けを借りないと勉強が出来なくなってしまいます。

いわゆる、「指示待ち人間」になってしまうのです。

「ノート復習法」は、とても効果のある学習法です。

1日1ページ毎日、何でもいいから、自分で考えた勉強をします。

覚えないといけない漢字や英単語でもいいし、教科書の丸写しでもいいのです。

何をするのかを自分で決めることが重要です。

そして、子どものモチベーションを高めるために、欄外に一言、親がコメントを書きます。
励ましの言葉や感想など、批判ではなく、肯定的な内容にします。

毎日のチェックにもなるし、親子の対話も生まれるでしょう。

ただ、大切なのは強要をしないということです。

勉強は、親のためにするのではなく、「ノート復習法」を実践することが、自分のためになるのだということをきちんと説明しましょう。

これを中学3年間続けると画期的な効果が出ます。

もっとも、安上がりで、効果的な学習方法です。

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ボランティア

ボランティアのあるべき姿とは一体何だろう?

若いころから断続的にボランティアに関わってきた。

ボランティアが社会的に意義のある行為だということは疑いようがない。

問題は、需要と供給のアンマッチだったり、正当に評価されないことだ。

ボランティアはビジネスではない。

ビジネスとの違いは、お金が絡むかどうかである。

確かにボランティアの志しは素晴らしい。

しかし、報酬が伴わないためボランティアの評価はいつも困難だ。

誤解を恐れずに言えば、プロ意識の低いボランティアは時として、有りがた迷惑だったりする。

ボランティアをしている側は、自己満足。
ボランティアから恩恵を受けている側は、タダだから仕方がない、という関係が往々にして存在するように思う。

その原因は、金銭の授受を伴わないからだろう。

ビジネスは、需要と供給というの関係によって成り立つが、ボランティアの場合は、価格による調整機能が働かない。

お金を払うという行為は、決断を要するのだ。
そこに、緊張感が生まれ、更に責任と義務が発生する。

支払う金額以上の価値があると判断するからこそ、人はお金を出すのである。
お金は、誰にとっても解りやすい価値観なのだ。

もちろん、お金が絡まないボランティアにあっても、一定のクオリティを確保しなければならないのは当然のことである。


しかし、いつもボランティアの価値は正当に評価されない。

あるいは、評価されることを拒否しているのかもしれない。

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歴史

学生時代、歴史の授業は好きではなかった。

年号や過去の出来事を覚えることにどんな意味があるのか解らなかったからだ。

しかし、年齢を重ねて今になってみると、歴史は興味深い学問なのだということが理解できる。

それは、年号や過去の出来事を覚えることではない。

時間軸を俯瞰するという作業だ。

人は誰しも、今を生きているが、その行動規範は過去の経験によって裏打ちされている。

つまり、過去の自分の経験によって今の自分が形作られ、未来の行動を決めようとしているのだ。

人間一人の経験はたかが知れている。だからこそ、過去の多くの人々の経験、体験した事実から学ぶべき事柄があるのだろう。

時間軸の俯瞰という作業は、スケールを変えることによって見え方が変わる。

宇宙の歴史は、138億年。
地球の歴史は、46億年。
生命の歴史は、38億年。
ホモサピエンスの歴史は、20万年。
農耕の歴史は、2万年。
文字の歴史は、8千年。
日本の歴史は、15百年。
コンピュータの歴史は、80年。

過去の年代については、諸説あり誤差もあるが、どのスケールで歴史を俯瞰するかによって見方や考え方はずいぶん異なる。

過去の事実から、未来を予測するという作業は、人間特有の知恵であり、それこそが歴史を学ぶ意義なのだろう。

 

過去の歴史を前提にしなければ、未来は語れない。

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価値観とは?

価値観とは何だろう。

それは、人が生きていくための指針である。

愛、家族、正義、真理、思想、信条、宗教、お金、名誉、などなど。


人間以外の動物は、自分と自分の子どものために命を懸けることが多い。

それは生命の本能だからだ。


しかし、人間だけが例外的に利他的な行動や理念のために命を懸けるのだ。

ただし、価値観はひとつではないし、優先順位も様々だ。

何を尊重し、何に殉じるかは個人の自由である。

こうした価値観の多様性こそが、人間の人間たる所以なのだろう。


だからこそ、人間への興味は尽きない。

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美とは?

美とは秩序なのだと思う。


人は美しいものが好きだ。

人の営みによって作り出される創造物こそが美なのだと思う。

 

宇宙は常にエントロピーが増大し、無秩序に向かう。

地球においても同じだ。

しかし、地球においては、混沌から秩序ある状態に移行することがある。

地球上には、生物、人間が存在するからだ。


閉鎖された地球に、太陽からのエネルギーが注がれることにより生物が生まれ、秩序が生まれる。

美しき惑星地球。

しかし、美もそれを感じる人間がいなければ意味がない。

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