ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

無から有を生む

人は、無から有を生む。

人間の労働が付加価値を生むのだ。

何かを創造するという作業は、人間の本能的な欲求であるように思う。

無から有を生む一方で、人は資源やエネルギーを消費している。

しかし、人は消費する以上の付加価値を生産しているため、社会全体の経済価値は常に増加をしている。

自由市場資本主義においては、「成長」こそが唯一の絶対の価値観となっている。

それはブレーキが利かず際限なく増殖する癌細胞のようだ。

際限のない成長は、いつか破たんすることが判ってはいるが、破たんするまで誰にも止められない。

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渇愛

仏教の教えによると、人の心は、何を経験しようとも「渇愛」によって応じようとするらしい。

人は不快なものを経験すると、それを取り除くことを渇愛する。

快いものを経験した時でさえ、その快さが持続し強まることを渇愛する。

いずれにしても人は満足しないのだ。


では、どうすればそんな苦しみから逃れることができるのか?

それは、不快なもの、快いものを経験した時、それをあるがままに受け入れることだという。

不快なものは不快なものとして、快いものは快いものとして受け入れるというのだ。


「何を経験していたいか?」ではなく、「何を経験しているのか?」に意識を集中するのだという。

それこそが「涅槃」に至る道らしいが、簡単ことではない。

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最初の一歩

過去のスキル、リソースを活かして自分が解決できそうな問題とは何だろう?


なぜそれを実現したいと思うのか?

今まで実現できなかったのはなぜか?

実現するため協力してくれそうな人は誰だろう?

それを実現することによって誰が幸せになるのか?

それはいつまでに実現したいのか?

実現を妨げている最大の要因は何だろう?

それは本当に克服困難なものか?


◎とりあえず、一歩を踏み出そう。

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歴史を学ぶことの意味

恒星や惑星の動きのような現象は物理学の法則で説明や予測ができる。

気象や台風の動きなども、多くの要素が絡んでいるが、スーパーコンピュータを駆使すればある程度予測が可能だろう。
これは、こうしたシミュレーションが「一次のカオス系」だかららしい。

こうした考え方は、決定論的である。

歴史が必然的な結果であれば、未来もまた予め決まってしまうだろう。

しかし、人類の歴史は「二次のカオス系」なのだという。

二次のカオス系は、それに対する予想に人間が反応するので正確な予想は困難だという。

たとえば、為替や株価の予想は人々の思惑という不確定的な要素で決定される。
また、それを売り買いする人間がすべて合理的な判断をするわけではない。

人類の歴史においても同じようなことが起こる。

カール・マルクスは、資本論で経済の歴史的な必然を説いたが、その通りにはならなかった。

極端な結果が出た時、人間はその結果に対して何らかの対応を取ったり、取らなかったりするため予測が困難になるのだろう。

歴史に対する研究は、未来を予測するためではなく、未来に多くの可能性、選択肢があることを理解するための学問である。

歴史に「もし」がないからこそ研究する価値があるのだろう。

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必要な知識とは?

いまの資格試験は、ほとんどが択一形式の問題で、単に持っている知識を問うものです。

たくさんの知識を持っていることにどれほどの価値があるでしょうか?

ほとんどの問題は、グーグルで解決できてしまうのです。


暗黙知(コツ、勘、ノウハウなど)と形式知(マニュアル的な知識)。

形式知はグーグルを検索すれば、素早く、安価に、誰にでも、手に入れることができます。

暗黙知は言語化しにくいからこそ価値があるのです。


本当に必要なのは、オリジナリティです。

オリジナリティは、模倣から始まり、知識の蓄積、発酵により独創に至る。


真の独創を身につければ、突き抜けた唯一無二の存在となるでしょう。

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ネットワークという求心力

単独の人間の力は、大自然の中では無力である。

しかし、人類は地球上の隅々にまで行き渡り、地球の環境を変えるまでに繁栄している。

その繁栄の仕方は、最近ニュースになった「ヒアリ」のようだ。

1ぴきでは弱い「ヒアリ」も集団になると他の種を凌駕するような力を発揮する。

人類が地球上で繁栄しているのもまさに、この集団の力なのだろう。

人間が集団として纏まり、力をつけるには求心力が必要だ。

有史以来、その求心力とは「宗教」だったのだと思う。

過去何千年かの間に、さまざまな宗教が世界中に広まった。

世界中で宗教と文明が発祥したタイミングが同じなのは偶然ではない。

世界遺産や過去の遺跡を見るとほとんどが宗教的な施設であることが多い。

現代のような技術も重機もない時代に、後世に残るような建造物を作ることができたのは、まさに宗教という求心力のせいだったのだろう。

人は、求心力によって集団として纏まると思いがけない力を発揮するのだ。

過去、宗教やカリスマにしかなかった求心力が、現代社会においてはネットワークによって形成されるようになった。

ネットワークの出現によって、個人は独立した存在であると同時に、繋がった存在になってしまった。

いずれにしても、今後は、ネットワークという求心力が世界を変えていくのだろうと思う。

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日本の教育

以前から、思っていることですが、日本の教育事情はお粗末そのものです。

少子化が進んでいるにもかかわらず、待機児童問題はなかなか解決しません。

高等教育の無償化も検討されていますが、実現する可能性は低いでしょう。

公教育の質が低下し、より良い教育を受けるのにお金がかかれば、お金持ちしか高等教育を受けられなくなります。

結果、貧困の世襲化が進み、社会の活力が無くなっていきます。

高齢者福祉の充実は、選挙対策にはなるかもしれませんが、日本の将来にとっては、あまりプラスにはなりません。

教育に投資し、将来の良き納税者をたくさん育てなければ日本の未来は暗いものになるでしょう。


かつて、我が家で実践した中学生の勉強方法を披露します。

わたしは、それを「ノート復習法」と呼んでいます。

勉強というのは、自学自習が基本です。
塾や家庭教師の弊害は、自学自習の習慣が身につかないことです。

仮に、一時的に塾や家庭教師で成績が上がっても、いつまでもは続きません。

そんな人は、高校に行っても、大学に行っても、社会に出ても、誰かの助けを借りないと勉強が出来なくなってしまいます。

いわゆる、「指示待ち人間」になってしまうのです。

「ノート復習法」は、とても効果のある学習法です。

1日1ページ毎日、何でもいいから、自分で考えた勉強をします。

覚えないといけない漢字や英単語でもいいし、教科書の丸写しでもいいのです。

何をするのかを自分で決めることが重要です。

そして、子どものモチベーションを高めるために、欄外に一言、親がコメントを書きます。
励ましの言葉や感想など、批判ではなく、肯定的な内容にします。

毎日のチェックにもなるし、親子の対話も生まれるでしょう。

ただ、大切なのは強要をしないということです。

勉強は、親のためにするのではなく、「ノート復習法」を実践することが、自分のためになるのだということをきちんと説明しましょう。

これを中学3年間続けると画期的な効果が出ます。

もっとも、安上がりで、効果的な学習方法です。

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