最近は、カミさんが仕事をしているので、わたしが主夫をしている。
掃除をして、洗濯をして、夕食を作る。
家事作業というのは、意外に大変だ。
それなりの小さな結果は出るがお金はもらえない。
それほど工夫の余地もない。
しかし、人間の基本的な営みであることは確かだ。
自分のため以上に、誰かのためにする方がモチベーションが上がるような気がする。
平凡な日常生活こそが実は幸せなのかもしれない。
刺激的なことは何もないが、普通の生活の味わいを堪能している。
最近は、カミさんが仕事をしているので、わたしが主夫をしている。
掃除をして、洗濯をして、夕食を作る。
家事作業というのは、意外に大変だ。
それなりの小さな結果は出るがお金はもらえない。
それほど工夫の余地もない。
しかし、人間の基本的な営みであることは確かだ。
自分のため以上に、誰かのためにする方がモチベーションが上がるような気がする。
平凡な日常生活こそが実は幸せなのかもしれない。
刺激的なことは何もないが、普通の生活の味わいを堪能している。
人生は選択の連続である。
過去の数限りない選択の結果が今の私を形成している。
いくつかの大きな決断はあったが、本当に大切なのは日々の忍耐強い精進という決断の積み重ねなのだと思う。
『継続は力なり』と言うが、日々『諦めない』という決断をしたからこそ結果が出るのだろう。
継続をする苦しみと、継続しなかったことを後悔する苦しみはどちらが大きいだろう。
どんな選択をしても、時間は確実に経過していく。
人生は不可逆である。
人は、何を指針に生きてゆくのだろう。
五十にして天命を知るというが不惑にも程遠いように感じる。
自分の能力と知識と経験を武器に人生を切り拓く若者を見ていると羨ましさを感じる。
無謀な挑戦に思える若者の試みは、わたしが歳を取ったせいでそう感じるのだろう。
変化の速い時代にあっては何が正解なのかは分からない。
確実なものなど何も無いのだ。
多様性がキーワードなのだと思う。
自分を信じることでしか道は拓けない。
『狭き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その道は広い』
世界の経済規模は拡大し世界全体は確実に豊かになった。
しかし、人々の生活は豊かになったのだろうか?
所得の格差が拡大している。
格差が拡大する原因は、貧困の連鎖、貧困の世襲が起こるためだと思う。
人間は裕福になればなるほど他人に優しくなくなるのだという。
『衣食足りて礼節を知る』と言うが、実際にはそうではないらしい。
ここで言う『衣食足りて』とは、最低限の生活ができる状態という意味なのだろう。
人間、豊かになりすぎると他人を顧みず更なる豊かさを求めてしまうようだ。
失うものが多い人ほど貪欲になる傾向があるようだ。
人々は優しさを思い出さなければならない。
そのためのきっかけは何だろう。
それは、『希望』なのだと思う。
『絶望』からは何も生まれない。
世界はひとつしか存在していないのだろうか?
それとも、個人の数だけ存在しているのか?
ひとりひとりが世界を解釈しているが、その解釈は個人の数だけ存在する。
世界を思い通りに操れると考えている人もいれば、誰からも顧みられず孤独で世界を憎んでいる人もいる。
わたしはこの世に生を受け成長してきたが世界に対する見方、考え方は常に変遷してきた。
一貫しているのは、希望を捨てず、正義を信じ、正直者が報われる世界を希求しているということだ。
希望が持てず、悪がはびこり、正直者が報われない世界なら存在する価値はないのだろうか?
世界がどうなっていくのかは、個々の個人の総意によって決まっていくように思う。
今日は、アメリカ同時多発テロ事件の日、9月11日である。
二人の囚人Aと囚人Bが共同で犯罪を犯し捕まった。
犯行を自白させるため取り調べの警察官は以下のような条件を伝えた。
二人ともが黙秘した場合、懲役2年。
二人ともが自白した場合、懲役5年。
ひとりが自白し、もうひとりが黙秘した場合。
自白した方は、釈放。
黙秘した方は、懲役10年。
もちろん二人は隔離されていて相談することはできない。
自分が囚人Aだった場合にはこう考える。
◎囚人Bが黙秘した場合。
自分が黙秘すれば懲役2年、自白すれば釈放。
だから、自白した方がいい。
◎囚人Bが自白した場合。
自分が黙秘すれば懲役10年、自白すれば懲役5年。
だから、自白した方がいい。
どちらのケースも自白をした方が得だ。
このことは、囚人Bも同じことを考えるので、結果的に二人ともが自白し懲役5年となる。
おい、ちょっと待った!!
お互いを信頼し、二人ともが黙秘をすれば懲役2年で済むはずじゃなかったのか?
そう、つまりは、自分が損をする可能性を排除しようとして、結果としてお互いが得をする機会を失ってしまったのだ。
このことは、人生の生き方にも通じるような気がする。
失敗を恐れリスクを取らないという選択は、最良の喜びも得ることのできない人生と言えるように思う。