ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

植物のある生活

毎年、12月になると実家では庭木の剪定作業をする。

1年間で成長した庭木を散髪するように整えるのだ。

剪定は、専門の職人に依頼するのだが、切った枝の片づけは私がした。

30坪ほどの枯山水の日本庭園だが、剪定した枝葉は軽トラック3杯分くらいにもなる。

重さは100キログラム以上はありそうだ。

毎年思うことだが、猫の額ほどの庭の樹木が1年でこれほどの量の有機物を作り出すことに驚く。

樹齢50年のトドマツは1年で15.8キログラムの二酸化炭素を吸収するという。

地中深く埋まっている化石燃料も、何億年もの時間をかけ、植物のこうした営みの結果出来たのだろう。

こうしてできた化石燃料を湯水のように使い、現代人は文明生活を謳歌している。


太古の昔、植物は人間の食べ物であり、燃料であり、住居だった。

常に植物は人間の身近にあったのだ。

日常生活の中では、植物に直接触れる機会が意外に少ないことに気づく。


なるほど、日本の庭は日常生活の隣に自然と植物がある生活形態なのだ。

それにしても、こだわりの生活には手間がかかる。

 

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信頼

人生で、本当に信頼できる人には何人くらい出会えるのだろう、とふと考えた。

自分が誰を信頼できるのか、という他人の評価もさることながら、自分が他人から信頼され得る人間なのかという問題も重要だろう。

過去を振り返ってみると本当に信頼できる人には3人くらいしか出会っていないように思う。

信頼関係が構築されるには、長い時間と濃密なコミュニケーションが必要だからだ。

『親子は一世、夫婦は二世、師弟は三世』というが、血縁よりも濃密な人間関係が確実に存在するということなのだろう。


個人的には、信頼とは、裏切られても相手を許せるということなのだと思う。

 

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人は主観の中でしか生きられない

万人によるコンセンサス、普遍的な真理は存在するが、人は所詮主観の中でしか生きられない。

個人が信じる価値観は、その人が解釈する世界のあり方である。

人間の数だけ世界を解釈する方法は存在するのだと思う。


わたしが生きている間に存在すると信じていた世界は、唯一、わたしの主観的な世界なのだ。

わたしがこの世からいなくなれば、世界がどうなろうと確かめる術はない。


人は、世界をより良いものにしたいと考える。

そして、その世界を他の人と共有することに意味を見出すのだと思う。


だからこそ、人は常に謙虚であるべきだ。

 

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働くことの意味

働くことの意味が、ここ数十年の間にずいぶんと変わってきたように感じる。

人々が飢えることなくより豊かな生活を送りたいと願っていた社会では、働くことは至上命題だっただろう。

しかし、世の中が豊かになり、労働の生産性が向上すると、世の中には物があふれるようになった。

働こうと思えば働く場所があり、働くことができれば安定した生活を送れるという幻想はもはや通じなくなった。

条件の良い雇用の絶対数は、AIや自動化によって減ってゆき、所得の二極化が進んだように思う。

働くことが当たり前、働かざる者食うべからずという価値観を疑ってみる必要があるように思う。

ベーシック・インカムという考え方ある。

国家が個人に対し、無条件に与えられる一定額の所得の事である。

この制度により、医療、年金、生活保護等の社会保障、福祉サービスなどが一本化され大幅な公務員の削減につながるだろう。

また、老後の心配がなくなれば、高齢者の必要以上の貯蓄も必要なくなるように思う。

車の自動運転、コンビニの無人化など、単純労働はロボットやAIが担う時代になるだろう。

しかし、人は相変わらず労働によってアイデンティティを求め続ける。

そこにあるのは、労働の対価としてのお金ではなく、社会的意味や意義が価値を持つようになるのだと思う。

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孤独

いつからスマホに生活を支配されるようになったのか。

一日のうち多くの時間、スマホを確認することに費やすようになった。

世界中で起こっているニュースを読み、天気を知り、誰かが撮った写真を眺め、「いいね」を押す。

常にメールやSNSで誰かとつながっていることを確認して安心しているのだ。

誰かとつながっていながらも人は本当は孤独なのじゃないだろうか。

孤独に対する恐れ。

本当に恐ろしいのは孤独そのものではなく、孤独になってしまうかもしれないという気持ちなのだと思う。

孤独を恐れる必要はない。


孤独という選択肢。

それもありだと思う。

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人間関係とヒエラルキー

以前から感じていることがある。

わたしは男性だが、男性の集団の中にいる時より、女性の集団の中にいるときの方がリラックスできるように感じていた。

この感覚は何だろうかと以前から不思議に思っていたが、気の置けない昔の友人が同じことを言っていた。

同じようなことを感じている人が他にもいることに驚いた。

つまりは、男性のメンタリティの特徴なのだが、無意識のうちにヒエラルキーの緊張関係を生みだすことが原因だと思う。

社会的地位、出自、経済力、容姿、体力、体格、などなど。

相手と対峙した時、自分と相手を無意識のうちに比べ、それが知らず知らずのうちに態度に滲み出る。

どうやらそれをわたしは不快に感じているらしいのだ。

女性集団の中においては、男性であるわたしはヒエラルキーの関係の外側にいるのでリラックスできるというわけだ。

それは、小学校や中学校の同窓会で旧友たちに感じる感覚に似ているのかもしれない。

誰かが社会的な成功を修めたか、落ちぶれたかはたいした問題ではない。

卒業後に何があったとしても、その人間の本質をわたしは既に知っているからだ。

『三つ子の魂百まで』と言うが確かにその感覚は納得できる。


だからこそ、人と向き合うとき、本質を見極めるニュートラルな感覚を大切にしたいと思う。

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薄毛の原因

『このハゲ~!』は今年の流行語になりそうな勢いだったが、薄毛については常々考えている仮説がある。

人間の薄毛の原因は、頭皮の血流不足が原因ではないかと思っている。

頭皮をマッサージしたり、ブラッシングすることで薄毛が改善されたと聞いたこともある。

人間の頭皮の血流を活発にするためには、頭皮を動かすことである。

そのためには、頭皮に連動する筋肉を動かせばいいのだ。

頭皮に連動する筋肉は、耳の後ろにある耳を動かす筋肉だ。

耳の後ろの筋肉は、人間が進化の過程で耳を動かす必要がなくなったため、退化したということを中学の理科の時間にならった。

まれに耳を動かせる人がいる。

日常的に耳を動かしていれば、頭皮の血流が活発になり薄毛が防止できるのではないか、というのがわたしの仮説である。

実は、わたしは耳が動かせる。

そのためか、わたしの祖父ふたりも、父親も薄毛だが、わたしは薄毛ではない。

問題は仮説を実証するための実例がわたししかいないことである。

耳を自由に動かせる人が薄毛だったら、わたしの仮説は崩れることになる。

仮説を実証するため、どこかに耳を自由に動かせる人のビッグデータはないだろうか。(笑)

 

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