パラダイムシフトとは、『その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。』
60年以上生きてきたが、これまでパラダイムシフトを何度も経験したように思う。
わたしが生まれた1950年代の頃は、家庭電化製品は電球を除けば、ラジオくらいしかなかった。
それが、気がつけば1970年代には、ほとんどすべての家庭電化製品が揃っていた。
わたしが、数百万円の8ビットのコンピュータに初めて触ったのは1980年代だったが、その後、30年で小学生がスマホを持つようになった。
これらは、ほんの一例だが、同じような変化はあらゆる場面で起こっている。
わたしが、最近、社会に対して抱いている漠然とした不安。
その正体は一体何なのかと考えた。
今の社会は、若者が未来に対して夢を描けない社会なのではないかと思う。
真面目に努力した者が報われる社会こそが健全だと思うが、現実はそうなっていない。
貧富の差は拡大し、世襲が横行し、努力による敗者復活は、より困難となっているように感じる。
そんな中で、『働かざる者、食うべからず』という価値観が本当に正しいのか?
というのが、わたしの疑問である。
以前に、世界の穀物収穫量の統計を調べたことがある。
全世界の穀物収穫量は25億トンほど、世界の人口が74億人ほどなので、一人あたりに換算すると330kgほどになる。
もちろん穀物以外の食料も生産しているので、平等に行き渡れば飢餓は存在しないことになる。
それはひとえに機械化による労働生産性が向上したことが寄与している。
製造業はもちろんの事、農業においてもその状況は同じである。
広大な畑を、コンピュータとGPSに制御されたトラクターが走り回り、穀物を植え付け、収穫をする。
そこにはもはや、大地の恵みを謳歌する農民の姿はない。
AIが搭載されたロボットが存在するだけだ。
収穫された穀物は、やはりAIロボットが仕分けをし、無人化されたトラックや飛行機で全国、全世界に運ばれていく。
そんな未来が、現実のものになっているように思う。
人が労働をしなくても、付加価値は無限に生まれてくる世界にわたしたちは生きているのだ。
だからこそ、経済は際限なく拡大を続けているのに、デフレが起こるのだろう。
サラリーマンとして、30年以上働いてきたが、人が働いて得られる報酬は、その労働に見合っているのか、と考えた時、必ずしもそうではないように思う。
誤解を恐れず言うと、たぶん、もらえる報酬が多すぎるのだ。
アメリカの大企業のCEOの役員報酬が法外に高額なのは有名な話だが、AIや自動化が進んだ社会において、人間の労働による付加価値はわずかでしかない。
多くの仕事は、人が操作をしているように見えるが、実際にはコンピュータや機械がしているし、その割合は増え続けている。
つまり、勝ち組と言われている人の多くは、AI化、自動化、機械化による恩恵を受け、大した仕事をしなくても高額な報酬をもらえるシステムに組み込まれていると言えるだろう。
AI化、自動化、機械化からこぼれた作業を、機械の減価償却費より安いという理由で、非正規労働者に任せているというのが、今の産業構造である様に思う。
このままAI化、機械化、自動化が進むと、少数の勝ち組と大多数の負け組の格差は、際限なく広がっていくだろう。
全体として、世界の富の総量が増えているのに、格差、富の偏在によって、多くの貧困層が生まれるのは好ましいことではない。
かつて、日本の高度経済成長を支えたのは、分厚い中間層だった。
そうした社会矛盾を一気に是正するための手立ては、『ベーシックインカム』という制度ではないかと個人的には思っている。
『ベーシックインカム』とは、国民の最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想。
生存権保証のための現金給付政策は、生活保護や失業保険の一部扶助、医療扶助、子育て養育給付などのかたちですでに多くの国で実施されているが、ベーシックインカムでは、これら個別対策的な保証を一元化して、包括的な国民生活の最低限度の収入(ベーシック・インカム)を補償することを目的とする。
従来の「選択と集中」を廃止し、「公平無差別な定期給付」に変更するため、年金や雇用保険、生活保護などの個別対策的な社会保障政策は、大幅縮小または全廃することが前提となる。
もはや、ロボットが、あらゆるサービス、付加価値を産みだすほどに進化をすれば、人は意に沿わない仕事で働く必要はなくなるように思う。
『ベーシックインカム』によって、国家が国民に一定以上の生活保障をすれば、個人は自己実現のために多様性を発揮でき、自由な発想で社会貢献ができるようになるだろう。
そして、一定の生活が保障されると『富』の持つ価値や意味は相対的に少なくなっていくような気がする。
では、『富』にとって代わられる価値とは何だろう?
それは、『名誉』だろう。
古今東西、人は『富』と『名誉』を求めてきた。
現代社会における『名誉』とは、即ち、ネットにおける『いいね!』である。
人々の関心が『富』から『名誉』へ。
『お金』から『いいね!』へとシフトするのではないか?
というのがわたしのパラダイムシフトの仮説である。
付加価値を産みだすものが、AIや機械になれば、人は、人の共感を得たり、人を驚かせたり、人を感心させるような、創造的な作業にこそ価値を見出すだろう。
その前提にあるのは、『教育による多様性』なのだと思う。
多様なもの、あらゆるマジョリティ、マイノリティを受け容れる社会にならなくてはいけない。
そんな社会が到来したとき、何が訪れるのか。
少なくとも、今よりもよりよい社会になっていることは確かだろう。