仏教の教えによると、人の心は、何を経験しようとも「渇愛」によって応じようとするらしい。
人は不快なものを経験すると、それを取り除くことを渇愛する。
快いものを経験した時でさえ、その快さが持続し強まることを渇愛する。
いずれにしても人は満足しないのだ。
では、どうすればそんな苦しみから逃れることができるのか?
それは、不快なもの、快いものを経験した時、それをあるがままに受け入れることだという。
不快なものは不快なものとして、快いものは快いものとして受け入れるというのだ。
「何を経験していたいか?」ではなく、「何を経験しているのか?」に意識を集中するのだという。
それこそが「涅槃」に至る道らしいが、簡単ことではない。