「リテラシー」という言葉は、もともとは「読み書き能力、識字能力」という意味である。
過去、リテラシーという概念が生まれた背景は、リテラシーを持つ人々と持たない人々を比較した時、リテラシーを持たない人がさまざまな不利益を蒙ることが多い、というこころからきている。
そこで、人が社会生活を送るうえで不利益を蒙ることがないようにするため、最低限身につけておくべき基本的な知識という意味で、リテラシーという概念が生まれた。
だが、コンピュータの出現以来、「情報リテラシー」(情報活用能力)という言葉が注目を集めた。
「情報リテラシー」とは大雑把にいうと、「メディア・リテラシー」と「コンピューター・リテラシー」に分かれる。
すなわち、「メディア・リテラシー」とは、メディアの情報を読み解く能力。
「コンピューター・リテラシー」とは、コンピュータを操作して、目的とする作業を行い、必要な情報を得ることができる知識と能力である。
つまりは、現代社会はコンピュータやインターネットを上手に使えないと不利益を蒙るかもしれないというメッセージでもある。
世の中が進歩していくと、知っておくべき「リテラシー」はどんどん増えていく。
子どもは、人類の進化の過程を前提として、現在を生きなければならないからだ。
近々、小学校でもコンピュータ教育が始まるらしいが、その中身は、ここで言うところの「情報リテラシー」とはかなり趣を異にしているように感じる。
未来を生きる子どもにとって必要な「コンピュータ教育」は、「情報リテラシー」であって、ロボットを動かすことやグラフィックスの絵を描くことではない。
いつも、文科省の考えていることはピントがずれている。