私たちが生きている世界は、誰かが作った付加価値によって快適な生活が成り立っている。
食べ物も、衣服も、住居も、私たちの身の回りにある、ありとあらゆるものは誰かが作ったものだ。
自給自足の生活をしていた時代、人の手によって製品が作り出されていた時代には、現在のような豊かな生活はできなかった。
かつては、人力によってしか、付加価値を産みだすことができなかったからだ。
地球規模で、人の交流が盛んになると、豊かになろうとする人間の欲望は、他民族を奴隷にしたり、財産を収奪したり、戦争をするという歴史がくりかえされた。
人は、他人の富を奪うことで、手っ取り早く豊かになりたいのだ。
相互交流や理解がない状態の中では、人は、見知らぬ人に対し好戦的になるのだろう。
多くの時間と犠牲を払ったが、グローバル化の波によって、世界は共通の価値観や寛容さを身につけようとしている。
さらに、産業革命、情報革命、インターネット、AIによって、人類の生産性は飛躍的に向上した。
現在では、付加価値のほとんどは、機械が低コストで大量に作り出し続けている。
付加価値を産みだす機械を動かしているもの、その動力の多くは電力だろう。
その機械は人が操っているが、そのウエイトはごくわずかだ。
機械は投入されたエネルギーコストの何倍もの付加価値を生みだす。
生みだされた付加価値の一部は人件費に支払われるが、そのコストは機械のランニングコストに比べるとそれほど多くない。
それも技術革新によって、人間の果たす役割はどんどん減ってゆく。
人件費を支払う必要のない機械によって、コストダウンが図られる。
そうしたコスト競争が行われた結果、製品の価格は劇的に下がっていく。
世界全体で生産される付加価値は爆発的に増えていくが、そのコストは劇的に下がり続ける。
このままではデフレになるため、意図的に金融緩和をし、世界経済はインフレを作り出してきた。
インフレによって、人々はさらに豊かになっていると錯覚する。
結果、世界は製品にあふれ現在の様な姿になったのだ。
「豊かさ」とは、一体、何だろう?
エネルギーによって拡大再生産を続けていく今の社会は、たぶん、立ち止まることはしないのだろう。
地球に、大航海時代のような未知なるフロンティアはなくなった。
もはや、月か、火星くらいしか未知なるフロンティアは残っていない。
人は、今まで、想像した未来を必ず実現してきた。
宇宙開発もまた、現実のものになるのだろう。
それが、人類が辿る必然的な道のように思えてならない。