若い頃、私がこだわり、知りたかった命題は、「自分が一体、何者なのか?」という事だった。
やがて、その疑問は、「私たちの社会がどうあるべきなのか?」という疑問に取って代わった。
さらに社会生活を送る中で、私の疑問は、「社会の現状をどう理解するのか?」と考えるに至っている。
あるべき社会がなになのかを模索しても意味はない。
なぜなら、価値観は多様で、未来は常に不確実なものだから。
現に生きている人々、つまり、私たちが現状をどうしたいと考えているかの総意こそが、今後のあるべき社会を形成していくのだろう。
社会全体を個人がデザインしても、うまく行った試しはない。
人々の社会に対する理解、認識が変われば、自ずと全体のベクトルも変わっていくだろう。
何が正しく、何を選択すべきかを自分で考える力を身につけることこそが重要だ。
個人は全体のために。
全体は個人のために。
その調和こそが、目指すべきゴールのような気がしている。