人間以外のほとんどの生物にとって、生きる事は食べ物を手に入れる事と同義なのだと思う。
人間もまた、自給自足の生活をしていた時代は食料を手に入れることに多くの時間を費やしていた。
やがて社会が成熟し、分業が進むと食料の生産は至上命題ではなくなる。
さらに、食料以外の生産が拡大し、消費社会が訪れるのだ。
消費社会こそが資本主義そのものなのだと思う。
オートメーションによって生産は効率化され、労働者は生産過程に組み込まれる。
生産された製品は、多くの労働者が購入、消費し、お金の循環が生まれる。
その結果、生産手段を持つ資本家に富が蓄積する、という構図である。
こうした工業化が進んだ時代には、人々の欲望は、より生活が豊かになる製品に対して向かっていた。
1950年代後半、家電3品目が『三種の神器』(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)としてもてはやされた。
さらに、新『三種の神器』が3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)と呼ばれるようになった。
資本主義における価値とは、資本、すなわちお金である。
お金があれば、欲しいものが何でも手に入る。
戦後の焼け野原や何もなかった時代を知っているものにとっては、身の回りに物が増えていくという状況こそが、豊かさの象徴だっただろう。
しかし、生まれた時から、すべてが揃っていた時代を生きている世代にとっては、お金や物質では豊かさを感じられないのではないかと思う。
初期の資本主義は、可処分所得の奪い合いだった。
現在の資本主義は、可処分時間の奪い合いだという。
お金は、人間が作ったものだから限りがない。
時間には、限りがあるからお金よりも価値があるのだろう。
現在、繁栄している会社の多くは、この可処分時間を奪っている企業が名を連ねている。
Google、Yahoo、Apple、Amazon、Disneyなどなど。
何か製品を作っているわけではない、時間をお金に換えるサービスを提供しているのだ。
お金による支配から、時間による支配へ。
資本主義の本質も変遷をしているように思うが、何が人をしあわせにするのだろうか。