ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

ユヴァル・ノア・ハラリ

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著作を読んでいると「慧眼」という言葉を思い出す。
彼の著作には、わたしがこれまでに出会ったことのない視点、思索に富んでいるからだ。

それは、以下のような記述である。

自由主義者も、共産主義者も、現代の他の主義の信奉者も、自らのシステムを宗教と呼ぶのを嫌う。
なぜなら、宗教を迷信や超自然的な力と結びつけて考えているからだ。
共産主義者自由主義者は、あなたは宗教的だと言われたら根拠のない絵空事を信じていると非難されているように思うだろう。
だが宗教的というのは、人間が考案したのではないもののそれでも従わなければならない何らかの道徳律の体系を、彼らが信じているということにすぎない。
私たちの知るかぎり、あらゆる人間社会がそうした体系を信じている。
どの社会もその成員に、人間を超越した何らかの道徳律に従わなければならないと命じ、その道徳律に背けば大惨事を招くと言い聞かせる。』

いままでずっと、わたしが宗教やイデオロギーに懐疑的だった理由が理解できた気がした。


「何らかの道徳律の体系」こそが、人間社会のコンセンサスとして世の中を形成している。
多くの人たちは、その「何らかの道徳律の体系」に疑問を抱かない。
しかし、「何らかの道徳律の体系」に疑問を抱き、背いたとしても「大惨事」は起こらない。

結局のところ、世界は、現状を守ろうとする保守主義者と現状を変えようとする革新主義者とのせめぎ合いなのだ。
どこまで行っても、保守主義者と革新主義者は折り合うことはない。
多くの教訓を得ながら、争いと失敗を繰り返すのだ。

だから人間は進化を止めないし、行き着くところまで行くしかないのだろう。

これこそが、これまでの人類の歴史そのものなのだと思う。

 

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