ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

世界の食糧事情

世界の食糧事情をネットで調べてみた。

世界の穀物の生産高は約25億トン。

この穀物を、世界に住む73億人に平等に分配すれば、1人当たり年間340キログラム以上にもなります。

日本人1人当たりが実際に食べている穀物は、年間159キログラム。

世界的な規模で見れば飢餓は根絶されていても不思議ではない状況です。

しかし、実際には世界の飢餓人口は8億1500万人。

9人に1人が飢餓に苦しんでいるという現実があります。

有り余る食料があるのに、飢餓が解消しないという矛盾。


世の中には不思議な事がたくさんある。

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カンブリア爆発とAI(人工知能)

 

 カンブリア爆発とは、古生代カンブリア紀、およそ5億4200万年前から5億3000万年前の間に突如として今日見られる動物の「門(ボディプラン、生物の体制)」が出そろった現象である。


カンブリア爆発が起こった原因については諸説あるが、個人的には、生物の進化の過程において眼を持った生物が生まれたというブレイクスルーが原因ではないかと思っている。

眼を持つことによって生物は積極的に他者を捕食することが可能になる。
その捕食に対抗するために、様々な進化が爆発的に起こったのではないかと想像している。


様々なセンサーの中で、イメージセンサーはもっとも情報量の多いデータである。

AIは、イメージセンサーの情報をディープラーニングによって高度な解析することが可能になりつつある。

このことは、AIもまた、目を獲得することによって爆発的な進化を遂げるのではないかという推測を連想させる。


AIの進化は、徐々に進むように見えて、実は爆発的に起こるのかもしれない。

 

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本当にしたいこと

本当にしたいこと、とは何なのか?

と、よく考える。

「天職」と言う言葉があるが、天職を見つけられた人は幸せだと思う。

多くの人は、生活のために自分の時間を切り売りしているからだ。

わたしも、たまたま縁あって就職した職場で36年間自分の時間を切り売りして働いた。

同じ働くなら、楽しく働きたいと孤軍奮闘したつもりだが、組織のトップに立たない限り組織は変えられないのだと悟った。


昔、「木を植えた男」という絵本を読んだことがある。

ひとりの男がひとりでドングリを植え続け、森を再生する話である。

未来を創造する夢のある話だと思う。

未来を作るのは、若い人材だろう。

そんな人材を育てるような、木を植えられたら幸せだろうな、と思う。

 

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スポーツの効用

小学生と遊んでいるとずるいことをしたり、詭弁的にルールを捻じ曲げてまで勝とうとする子どもが時々いる。

子ども相手に感情的になることはないが、論理的に説明してもなかなか納得しない子どもも多い。

ずるくなれるのは、子どもに知恵が付いた証拠なのだろう。

 

他人と勝負をして勝つためには手段を選ばないというのは、小学生であっても、大人であっても、一国の指導者であっても同じなのだなぁと思う。

そんな人間のエネルギーを昇華させるために、人はスポーツに熱中するのだろう。

スポーツであれば、明確なルールがあり、どれだけ熱中しても問題はない。

オリンピックであれ、ワールドカップであれ、人がスポーツに熱中する姿は、感動すら覚える。

自分がスポーツをしていて感じるのは、本当の敵、究極の敵は相手ではないということだ。


実は、自分自身との闘いなのだと思う。

 

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トイレットペーパーの謎

トイレに座っているときに、こんなことを考えた。

 

50年ほど前、わたしが子どものころのトイレットペーパーは四角いB5版ほどのちり紙だった。

小学校の汲み取り式のトイレにはトイレットペーパーの備え付けはなかった。

ハンカチとちり紙は小学生の必須アイテムだったのである。

いつの頃からか、トイレットペーパーはロール式になっていた。

その時期は、水洗トイレの普及と同じくらいのタイミングだったと思う。

なぜトイレットペーパーがロール状に巻いてあるのか、漠然とした疑問を抱いていたが、その疑問は解明されないままになっていた。


最近になって、トイレットペーパーの三角折の是非が話題になった。

三角折不要論の根拠としては、「用を足した後のまだ洗っていない手でトイレットペーパーをさわってほしくない」という衛生的な観点からの理由らしい。

それを聞いて、はたと気がついた。

トイレットペーパーがロール式になっていた理由のひとつは、製造された後、トイレットペーパーに誰も触っていないことを保証するためだったのだ。

あー、すっきりした。(笑)

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生物とは何か?

生物にはいくつかの定義がある。

◎細胞でできている。

代謝を行える。

◎子孫を残す。

◎進化する。

などなど。

ただし、これらの定義は便意的なものにすぎないのかもしれない。

生物と無生物の境界がはっきりしないからだ。

よく言われるのは、生物と無生物の境に存在するウイルスという存在だ。

ウイルスは、遺伝子は持っているが細胞を持たないので、単体としては繁殖できない。

他の生物にもぐりこむことによって生物の様に振る舞う。

現在の学問では、ウイルスは生物のカテゴリーではないとすることが主流らしい。

ロボットやコンピュータウイルスなど、人間が創造したものがさらに進化した場合、生物に限りなく近づく可能性があるかもしれない。

また、遺伝子組み換えによって生み出された新たな生物も従来の生物とはカテゴリーを異にする必要があるかもしれない。

さらに、宇宙には恒星や惑星そのものが生物であるような、従来の生物よりも大きなスケールで、生物のような振る舞いをするものがあるかもしれない。

そういえば、地球全体を一つの生命体と考えるガイア理論という考え方もあった。


「生物とは何か?」という問題は自分とは何かという問題にも似て哲学的で奥が深い。

  

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クワガタとDNA

最近、さる昆虫学者からこんな話を聴いた。

ある種のクワガタは、縄張り争いの時に2本の角をハサミの様に使い、相手の足を切断して地面に落とすような攻撃をするものがいる、とのこと。

足を切断されたクワガタは、もはや木の上に戻ることができなくなるため、蟻などのエサになり命を落とす。

以前に、動物はメスをめぐる争いをしても最終的に相手の命を奪うことはない、ときいていたが昆虫には例外がいるらしい。

これは、自分の子孫、種を残そうとするDNAのなせる技だという。

同性の種を殺して、自分だけが繁栄したところで、種全体の絶対数が減ってしまえば種の存続は難しくなる。

全体として種が数を増やさなければ、自分の子孫が種を増やす機会も増えないからである。

昆虫の場合、一回の生殖で残す子孫の数が多いためこんなことが起こるのだろう。

すべての生物は例外なく、自分の種を残そうとして生きている。

その結果、これほどの多様性のある生物が地球上に出現したのだ。

生物の究極の目的は、自己の繁栄だけなのだろうか。


最近のナショナリズムが台頭する国際社会を見ながら、こんなことを考えた。


多様性を認め、共存出来る社会を目指すことこそが人類の知恵であるように思う。

相手の命を奪う、クワガタの角を人類は手にしてはいけない。

 

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