十人十色
十人十色という言葉があるが、最近は同じ顔をした人間が多くなったような気がする。
その理由は、ネットなどで情報の共有が簡単にできてしまうからなのだろう。
多くの人は打算で動く。
世間で何が流行っていて、何が得なのかという情報は、瞬く間に万人の知るところになる。
そのトレンドに向かって人々は殺到するのだろう。
そんな世の中では、人とは違うことをすることにこそ価値があるのだと思う。
いろいろな奴がいて、いろいろな考えあったからこそ世界は多様性に富み、発展してきたのだろう。
多様性こそが鍵なのだと思う。
そういえば、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てない」なんて言葉もあった。
ひらめき
日常生活の中で、突然、思考のひらめきが訪れることがある。
思考は常に流れている。
その流れの中で、キラッと光る何かが見える瞬間。
その瞬間の思考の断片を急いで書き留める。
しかし、残念ながら、その多くは、かなたに雲散霧消する
そうした日常の繰り返しが、思想の構築につながっていくのだろう。
与えられた知識には大した価値はない。
自分で気づいたこと、オリジナルにこそ価値がある。
手放すということ
昔の写真を見ながら考えた。
思い出の価値は、それを体験した私にとっての価値であり、他の人にとっては価値のないものなのだと。
それが私にとってどんなに価値があろうとも、他の人にとっては関係がないのだ。
過ぎ去った過去に思いを馳せてもあまり意味はない。
近年、断捨離が流行りだが、物やお金を「溜め込む」だけでなく「手放す」ことを考える時期にきているようにも思う。
そのことによって、誰かと何かを共有できるかもしれない。
お金で幸せが買えないことは頭では理解しているが、実感として感じるには年齢を重ねることが必要だ。
預金通帳の残高も必要だが、幸せに生きるための方法論も大きなテーマである。
手放すことによって得られるものに価値がありそうな気がしている。
お金は魔物である
サラリーマンの現役時代は、金融の仕事を36年間してきた。
お金にまつわる悲喜こもごもの出来事が日常的に起こる。
お金で人生が変わったり命を落とす人もいるが、考えようによってはお金で解決できる出来事はたいした出来事ではない。
世の中には、お金で解決できないことがいくらでもあるからだ。
それでも、お金は魔物だと思う。
融資案件で、よく感じたのは100万円の融資と1億円の融資は、金額は100倍違うが、担当者の手間はほとんど同じということだ。
だったら、100倍利益の出る案件を扱う方がいい。
もちろん、実際には100倍の利益は出ないが、それでもスケールメリットは大きな魅力である。その誘惑に人は勝てない。
お金の金額は物理的なサイズではない。価値という目に見えない力を数字に置き換えているだけである。
だから、いくらでも溜めこむことが可能だし、人間のお金に対する欲望も際限がない。
生活が維持できる以上のお金を使って、人は何をしたいのか?
お金は持っているだけでは意味がない。使ってなんぼのはずだが、実際には溜めこむことが目的になっている人もいる。
多くの人はお金がたくさんあれば、それで幸せになれると思っているのだ。
その呪縛から逃れるのは難しい。
やはり、お金は魔物である。
正義とは
アニメの世界では正義の味方が大活躍する。
子どもは正義の味方が大好きだ。
しかし、よく考えてみると正義とは何だろう?
アニメの世界では、判りやすい犯罪者が悪、犯罪者を懲らしめるのが正義なんだろう。
しかし、実際の世の中はそんなに単純に色分けはできない。
正義の名のもとに戦争やテロが起こったりするのだ。
その理由は、正義が主観的な価値観だからである。
正義は常に謙虚でなくてはならない。
正義を振りかざすとろくなことにはならない。
ワクワクすること
人が生きてゆくためのモチベーションとは何なのかなぁと考えた。
お金?名誉?正義?公平?恋愛?友情?信仰?信念?共感?
様々な価値を手に入れるために人々は右往左往するが、その根底にある価値観は『ワクワク』ではないかと思う。
ポジティブな動機の場合、もれなく人は『ワクワク』するために行動する。
つまり、自分は何にワクワクするのだろう?と考えれば自分が欲している価値観が判るのかもしれない。
ワクワクの量は、幸せの量に比例する。