ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

ボランティア

ボランティアのあるべき姿とは一体何だろう?

若いころから断続的にボランティアに関わってきた。

ボランティアが社会的に意義のある行為だということは疑いようがない。

問題は、需要と供給のアンマッチだったり、正当に評価されないことだ。

ボランティアはビジネスではない。

ビジネスとの違いは、お金が絡むかどうかである。

確かにボランティアの志しは素晴らしい。

しかし、報酬が伴わないためボランティアの評価はいつも困難だ。

誤解を恐れずに言えば、プロ意識の低いボランティアは時として、有りがた迷惑だったりする。

ボランティアをしている側は、自己満足。
ボランティアから恩恵を受けている側は、タダだから仕方がない、という関係が往々にして存在するように思う。

その原因は、金銭の授受を伴わないからだろう。

ビジネスは、需要と供給というの関係によって成り立つが、ボランティアの場合は、価格による調整機能が働かない。

お金を払うという行為は、決断を要するのだ。
そこに、緊張感が生まれ、更に責任と義務が発生する。

支払う金額以上の価値があると判断するからこそ、人はお金を出すのである。
お金は、誰にとっても解りやすい価値観なのだ。

もちろん、お金が絡まないボランティアにあっても、一定のクオリティを確保しなければならないのは当然のことである。


しかし、いつもボランティアの価値は正当に評価されない。

あるいは、評価されることを拒否しているのかもしれない。

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歴史

学生時代、歴史の授業は好きではなかった。

年号や過去の出来事を覚えることにどんな意味があるのか解らなかったからだ。

しかし、年齢を重ねて今になってみると、歴史は興味深い学問なのだということが理解できる。

それは、年号や過去の出来事を覚えることではない。

時間軸を俯瞰するという作業だ。

人は誰しも、今を生きているが、その行動規範は過去の経験によって裏打ちされている。

つまり、過去の自分の経験によって今の自分が形作られ、未来の行動を決めようとしているのだ。

人間一人の経験はたかが知れている。だからこそ、過去の多くの人々の経験、体験した事実から学ぶべき事柄があるのだろう。

時間軸の俯瞰という作業は、スケールを変えることによって見え方が変わる。

宇宙の歴史は、138億年。
地球の歴史は、46億年。
生命の歴史は、38億年。
ホモサピエンスの歴史は、20万年。
農耕の歴史は、2万年。
文字の歴史は、8千年。
日本の歴史は、15百年。
コンピュータの歴史は、80年。

過去の年代については、諸説あり誤差もあるが、どのスケールで歴史を俯瞰するかによって見方や考え方はずいぶん異なる。

過去の事実から、未来を予測するという作業は、人間特有の知恵であり、それこそが歴史を学ぶ意義なのだろう。

 

過去の歴史を前提にしなければ、未来は語れない。

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価値観とは?

価値観とは何だろう。

それは、人が生きていくための指針である。

愛、家族、正義、真理、思想、信条、宗教、お金、名誉、などなど。


人間以外の動物は、自分と自分の子どものために命を懸けることが多い。

それは生命の本能だからだ。


しかし、人間だけが例外的に利他的な行動や理念のために命を懸けるのだ。

ただし、価値観はひとつではないし、優先順位も様々だ。

何を尊重し、何に殉じるかは個人の自由である。

こうした価値観の多様性こそが、人間の人間たる所以なのだろう。


だからこそ、人間への興味は尽きない。

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美とは?

美とは秩序なのだと思う。


人は美しいものが好きだ。

人の営みによって作り出される創造物こそが美なのだと思う。

 

宇宙は常にエントロピーが増大し、無秩序に向かう。

地球においても同じだ。

しかし、地球においては、混沌から秩序ある状態に移行することがある。

地球上には、生物、人間が存在するからだ。


閉鎖された地球に、太陽からのエネルギーが注がれることにより生物が生まれ、秩序が生まれる。

美しき惑星地球。

しかし、美もそれを感じる人間がいなければ意味がない。

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仕事のストレス

学生時代、やりがいのある仕事をしたいと思っていた。

言い換えると自分の裁量で何かが決められるような仕事がいいなぁと漠然と考えていたように思う。

しかし、実際に就職してみると当初、裁量の余地のある仕事はほとんどなかった。
とりあえず、目の前の仕事をこなすことが精一杯だったように思う。
しかし、裁量の余地のない仕事はある意味楽なのだ。
最初から到達点が決まっているからだ。

その後、少しずつ仕事の裁量の余地が増えたが、それに伴いストレスも増えていったように思う。
自分の裁量が誰かの運命を変えてしまうというストレスは、鈍感にならなければ受け入れられない。仕事なのだと割り切るしかないのだ。

「すまじきものは宮仕え」

失業して4か月、そのストレスからは解放されたが長期間の洗脳が解けるにはもう少し時間が必要であるような気がしている。

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男と女のメンタリティ

うちのカミさんと話をしていると、男と女のメンタリティの違いをいつも感じる。

あくまでも私の場合だが、結局、男は何かを成したい、お山の大将でいたいのだと思う。

スティーブ・ジョブズは、「私の使命は宇宙に凹みを作り、世界を変えることだ」と言ったらしいが同じようなことだ。

それは生きた証のようなものを成果として得たいのだと思う。

それが実は卑近な承認欲求であることも判っているがどうしようもないのだ。

男の場合、そのあたりの感情が、モチベーションの根源のような気がする。

うちのカミさんに言わせると、カミさんの場合はそうではないらしい。

彼女は、とりあえず3人の子どもを育てたことで満足しているという。

それで人生の目的はほぼ達成したらしい。


どちらの感性が幸せなのか?

死ぬまで答えは出そうにない。

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