教師が教師になった動機は何だろう?
たぶん、自分が受けた教育の反面教師としての教育をしたいという動機が多いような気がする。
自分が受けた教育がすばらしかったから、同じような教育をしたいと考える人は少ないのではないだろうか。
その理由は、社会、世界が短期間のうちに変遷を続けているからだろう。
世の中のあり方によって求められる人材も変わる。
戦前は、忠君愛国教育。
戦後は、基礎学力と勤勉な労働力の供給。
ゆとり教育のアンチテーゼとして、自ら考えることのできる人材育成へシフト。
さらに、小学校での英語教育、コンピュータ教育などの試みへ。
教育行政の問題は、現場を知らない文部官僚が思いつきで方針を決めることだ。
さらに、教育の現場は、本来クライアントであるはずの生徒の顧客満足度は置き去りにされる。
教師はスポンサーである親の顔色ばかりを窺うという二重構造に支配され、本来あるべき教育の姿から乖離してゆく。
教育の原点とは、自学自習だろう。
大人ができることは、子どもが自ら学ぶ事の出来る前提、環境を整えることだが、それすら理想には程遠いのかもしれない。