ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

教育とは?

教師が教師になった動機は何だろう?

たぶん、自分が受けた教育の反面教師としての教育をしたいという動機が多いような気がする。
自分が受けた教育がすばらしかったから、同じような教育をしたいと考える人は少ないのではないだろうか。

その理由は、社会、世界が短期間のうちに変遷を続けているからだろう。

世の中のあり方によって求められる人材も変わる。

戦前は、忠君愛国教育。

戦後は、基礎学力と勤勉な労働力の供給。

その後、団塊の世代の受験戦争を経て、ゆとり教育へ。

ゆとり教育のアンチテーゼとして、自ら考えることのできる人材育成へシフト。

さらに、小学校での英語教育、コンピュータ教育などの試みへ。


教育行政の問題は、現場を知らない文部官僚が思いつきで方針を決めることだ。

さらに、教育の現場は、本来クライアントであるはずの生徒の顧客満足度は置き去りにされる。
教師はスポンサーである親の顔色ばかりを窺うという二重構造に支配され、本来あるべき教育の姿から乖離してゆく。

教育の原点とは、自学自習だろう。

大人ができることは、子どもが自ら学ぶ事の出来る前提、環境を整えることだが、それすら理想には程遠いのかもしれない。 

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エネルギー

人類の文明が爆発的に発展した理由は、安価で莫大な量のエネルギーを手に入れたからだろう。

人類は、膨大なエネルギーを食料、移動輸送手段、製造機械、建築物などに変換することによって有り余る富を手に入れた。

更に、地球規模のネットワークを構築し、あらゆる情報、知識、研究成果を共有した。

生活が豊かになり、情報を共有することによって、好奇心はありとあらゆる方向に際限なく向かい、宇宙と生命の神秘を解き明かすまでになっている。

使われたエネルギーの多くは、化石燃料である。

問題は、環境問題や地球温暖化問題が経済成長にとってはマイナスになってしまうことだ。

過去100年の地球の変化を冷静に分析すれば、今後の処し方は明らかだ。

100年という期間は、宇宙や地球にとっては一瞬だが、人間にとっては一生分である。

過去100年が、人類の文明が花開いた最後の徒花にならなければいいのだが。

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不倫

最近は政治家や芸能人の不倫報道が増えた様な気がする。

不倫は法律的には違法ではないが倫理的な謗りを受ける。

社会的に影響力のある人物は不倫の釈明をすることを求められるらしい。
記者会見を見ていると一種のいじめのように感じる。
他人の不幸は蜜の味ということだろうか。
そんな様子を眺めていると、追い詰められた状態であればあるほど人間の素が出てしまうような気がする。

だからこそ皆が注目するのだろう。

『一線は超えていません』は流行語大賞になるような気もするが、クリントン大統領以来の常套句である。
「法律は家庭に入らず」
秘め事に関しては言わぬが花なのだろうが、犯罪に関しては話が少し違う。

平気で嘘をつく人はたくさんいるが、そこを混同してはならない。

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全体主義の起源

NHKの番組、「100分 de 名著」では、ドイツの政治学者、ハンナ・アーレントの著作『全体主義の起原』を扱っている。
第一回目の放送を観た。
ハンナ・アーレントユダヤ人の女性らしい。

恥ずかしながら『全体主義の起原』という著作については知らなかった。

全体主義とは何だろう?
ナチススターリン、あるいは北朝鮮のような政治体制を指すのだろうか?
あまり肯定的な意味合いでは使われていないらしい。

個人は全体のために、全体は個人のために存在することが理想なのだろうが、政治体制や価値観はどちらかに大きく振れる傾向があるようだ。

個人を尊重すれば全体の秩序が乱れ、全体を尊重すれば個人の自由が損なわれるからだ。

現在のようにネットワークが張り巡らされた時代には、全体と個人に対する考え方も変遷してゆくだろう。

ネットワークをいかに活用するかが、より良い世界を構築するためのカギだろう。 

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絶対的権力は絶対的に腐敗する

『絶対的権力は絶対的に腐敗する』

イギリスの思想家、ジョン・アクトンの言葉である。

政治も宗教も権力が集中するとろくなことがない。

北朝鮮も、中国も、安倍政権も、トランプ大統領も、イスラム過激派も、その根底にあるのは絶対的権力が持つ慢心、自己過信だろう。

だからこそ、民主主義という手間とコストのかかる価値観を人類は選択したのだろう。

政治や宗教に限らず、自己の正当性を過信すると、もはや制御が利かなくなる。

権力は、大きければ大きいほど謙虚でなくてはならない。 

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脆弱な世界

戦後の日本は、多少の紆余曲折はあったもののほぼ右肩上がりの経済成長を続けてきた。
戦後72年も経てば、戦争を体験した世代は現役にはいなくなった。

海の向こうで、時々戦争やテロが起こっても、日本の上空をミサイルが飛んで行っても、それはテレビ中の遠い世界の出来事なのだ。

日常生活は、脆弱な細いライフラインで維持されている。
電気、ガス、水道、通信、流通など。

そんな世界も、一発の核弾頭の発射ボタンをどこかの国の指導者が押しただけで一変するだろう。


プロメテウスの火を手に入れてしまった世界は何を選択するのだろうか? 

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日本の稲作

近所を散歩していると既に稲刈りが済んでいる田んぼが目に付いた。
早稲のコシヒカリなどは毎年8月の終わりには稲刈りをする。

日本のお米の自給率は、ほぼ100パーセントを維持している。
安い外米を輸入せず、国際相場の7倍ほどの値段の国産米を国民が食べているからだ。

農林水産省の統計によると2010年の水稲収穫農家の戸数は、全国で約115万9千戸、収穫面積は121万9千ヘクタール。
7年前の統計なので、どちらも更に減少しているものと思われる。
ざっくり言うと、水稲収穫農家の戸数は100万戸、収穫面積は100ヘクタールというところだろうか。
つまり、平均的な水稲収穫農家の農地面積は、1ヘクタール余ということになる。

1ヘクタールの米の収穫量は6トンほど。
10キログラムが3000円で売れたとしても、売上(年収)は180万円でほどにそかならない。農業機械の減価償却費、肥料、苗の経費などを差し引くとほとんど利益はない。

お米だけをつくって専業で生計を立てるためには、10ヘクタールほどの農地が必要だろう。
10ヘクタールは東京ドームのグラウンドの2倍以上の面積である。

相続でもした広大な土地が無ければ、新規創業は困難だろう。

農家の平均年齢は65歳、農業従事者の若返りこそが日本の農業再生には必要だろうと思う。

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