子ども・子育て支援会議
2017年6月から2年間、高松市の子ども・子育て支援会議の委員になった。
高松市報で公募をしていたので、応募したら面接選考の後、採用されたのだ。
委員の総数は18名。構成員の内訳は、主に教育関係者、学識経験者などで公募の委員は3名である。
その役割は、年数回程度の会議に出席することだ。
議題や資料は、あらかじめ高松市の事務局が用意し、自宅に郵送してくる。
送られてくる資料は、毎回、数十ページにもなる。
突っ込みどころはいろいろあるが、意見や質問があれば事前にメールやファックスで出来る。
現在議論されている主なテーマは、保育園の待機児童問題。
平成29年度は、その中間の年になっているので、過去2年の実績を踏まえ、今後の計画を見直し、修正をするのだ。
実際には様々な要因で待機児童が発生している。
特に不足しているのは、産休育休明けの0歳児の受け入れ態勢らしい。
行政側としては何とか量を確保し、待機児童を解消する考えだ。
どこでもそうだが、計画立案する側と実際の現場とでは色々な意味で乖離がある。
その乖離を埋めるべく、子ども・子育て支援会議は存在しているのだろう。
問題の本質は、生後間もない赤ちゃんがよりよい環境で成長することが可能な社会を作っていくということだ。
子どもを持つ母親の80パーセントが家事以外の仕事に従事している現実の中で、子どもを産み育てる環境を充実させることは急務であることは間違いない。
量の充足はもちろんだが、保育の質が伴わなければ意味がない。
安倍政権は、幼児教育の無償化という方針を目指しているようだが、保育士の待遇改善、ひいては保育の質の向上こそが必要であるように思う。
プロの仕事
平成19年6月の改正教育職員免許法の成立により、平成21年4月1日から教員免許更新制が導入された。
教員免許の更新には、10年ごとに30時間の講習が必要だという。
こうした制度の問題点は、教員免許の更新を拒否された人が出た場合、その措置が恣意的なものでないということの証明することが困難な点である。
仮に、全員が免許の更新が許されるなら更新手続きに意味はない。
かつて、最高裁判所による裁判官の再任拒否が問題になったことがあるが、同様のことが起こる可能性もある。
また、人の命に係わる医師免許に更新制度がないのも不可解だ。
プロの仕事とは、素人にはわからないからプロなのだと思う。
プロの仕事を数値化することにより客観的に評価しようとする試みは、数値化してしまった時点で言葉にできないものや測定不能の成果が無視され、多様性や複雑さがそぎ落とされ、専門職の非専門職化という矛盾に陥る。
プロとは職人なのだ。
職人の世界は、資格というお墨付きに頼らないからこそ職人なのだろう。
かつて一世を風靡したテレビドラマ、『金八先生』「腐ったみかんの方程式」の中で、金八先生が言い放った言葉が耳に残る。
『私たちはみかんを作っているのではない、人間を作っているのだ!』
平等と公平
ネットの情報によると・・・
「平等」とは、個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに遇するシステムとなっていること。
「公平」とは、すべての人に対し、機会が均等に与えられており、成果を上げた者が評価され、報われるシステムとなっていること。
人は、ある程度の不平等は受け入れるが、不公平には耐えられないらしい。
かつて、人々を平等に遇することで理想的な社会が実現できるという考え方もあったが、時間の経過とともに、平等な社会は崩壊していったらしいということが判った。
実は、平等な社会とは、不安定な状態であるらしい。
ボルツマン分布という物理の理論式がある。
これは、気体分子などの分子が取り得るエネルギーと分子の個数分布のことである。
それは、人間社会の所得と人口の分布に酷似するという。
物理の分布と人間社会の所得分布が同じような曲線のグラフを表すのは面白い現象だと思う。
人の所得とは、分子が持つエネルギーのようなものらしい。
どちらも、時間の経過と共に最終的には同じような曲線に収束する。
つまり、公平な社会は、平等を実現できないことは明らかだ。
目指すべき世界は何なのか。
わたしが考えても、考えなくても、同じ結論に至るのかもしれない。
読み聞かせ
保育園で「読み聞かせ」のボランティアを体験した。
といってもたいした話ではない。カミさんが毎月通っている読み聞かせボランティアについていったのだ。
30人くらいの園児の前で絵本を読んだ。
かつて、自分の子どもには毎日絵本の読み聞かせをしていたが、25年以上も前の話である。
たくさんの子どもの前で読むのは初体験である。
最初はカミさんが絵本を読むのを見ていたが、予想以上に子どもたちが集中して聴いていることに驚いた。
読み聞かせを聴いている子どもたちを見ていると、外部からの刺激を貪欲に吸収しようとする意欲を感じる。
読み手と聴き手が、程よい掛け合いをしながら、楽しい時間が流れていく。
その後、カミさんからバトンタッチ。読み手が変わると子どもたちの集中力はまた復活する。
初心者の読み手でも子どもたちは喜んでくれる。
やはり絵本は最強のアイテムである。
読み聞かせは、子どもにとっても大人にとっても、楽しく、効果的な教育方法なのだと再認識した。
革命のファンファーレ
『革命のファンファーレ(現代のお金と広告)』幻冬舎刊
最近のわたしにしては珍しく、一気読みした。
活字が大きく文章量が少ないという理由はあるが、それにしてもなかなか濃い内容だった。
知っている人は知っているが、西野亮廣氏は1年ほど前、クラウド・ファンディングでお金を集め、『えんとつ町のプペル』という絵本で成功し話題となったのだ。
成功の要因はいくつかあるが、絵本というビジネスモデルを厳密に分析し、戦略を立て、それを実験的に実践したのだ。
既成概念にとらわれず、現在の世の中の動きを見据えて、できることをすべてやる。
この思想は、本書『革命のファンファーレ』でも貫かれている。
ここでは詳しくは書かないが、わたしにとっては実に興味深い内容だった。
最後にひとつだけ言っておきたいことがある。
余談だが、わたしは自宅の近所にあるT大学の図書館によく通っている。
その大学の図書館では、一般市民にも身分証明証の提示をすれば貸出カードを作ってくれる。
パソコンの普及のせいか、学生が本を読まなくなったのか、図書館の使用率は低いように思う。
公共図書館では100人待ちの村上春樹の新刊が、その大学の図書館ではすぐに借りられたりするのだ。
そこで、たまたま『革命のファンファーレ』の本を見つけ、借りてきたのだ。
本を読み終わり、最後に本の奥付を見て驚いた。
この本、『革命のファンファーレ』は著者である西野亮廣氏本人が大学の図書館に寄贈した本だったのである。
人生を俯瞰する
振り返ってみれば、結果として無難な人生を歩んできてしまった。
良くあるパターンだが、中学生までは優等生だった。
高校に進学して、とある女性にうつつをぬかし、ドロップアウトした。
高校を卒業してから受験勉強をはじめ2年勉強して大学へ。
某資格試験を志すも挫折、成り行きで就職。
いわゆる、正社員、終身雇用、年功制の会社だった。
就職1年目で早くも恋愛結婚。
その後、転職を考え、就職試験を受けるも最終面接で落とされ、残留。
そうこうしているうちに、3人の子宝に恵まれる。
妻を含め、4人の扶養家族、住宅ローンもあり、転職は断念。
その後、住宅ローンはめでたく完済。
3人の子どもも、それぞれ、大学を卒業し、就職し、結婚。
同じ会社でサラリーマン生活を36年間勤め上げ、円満卒業。
結果として、典型的な安定志向のサラリーマン生活を送ってしまった。
もちろん、それぞれの時期にいろいろなエピソード、紆余曲折はあったがここでは割愛。
一応、日本経済の一翼を担ったという自負はある。
それにしても、おおむね平和な会社人生だった。
現在、60歳。
人生100年時代、残りの人生をどう生きるのか?
それが当面の課題。
職業の寿命
『職業に寿命がある』という事実をどれぐらいの人が実感として感じているだろうか。
かつて、英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授が『雇用の未来?コンピューター化によって仕事は失われるのか』という論文で発表したことが現実になりつつある。
この変化は徐々に進むのでなかなか気づかない。
しかし、みんなが気づいた時には、既にすべてが変わっているだろう。
最近の変化でいえば、ほとんどの人がスマホという高性能インターネット端末を持つようになったことだろう。
この世の中の変化についてゆけない者は、恐竜のように絶滅するだろう。
自ら変化してゆくものだけが生き残れるだろう。