ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

教育の目的

かつて、世界は数万年単位で変化していた。
江戸時代は、数百年単位で変化した。
明治維新後は、数十年単位、平成になってからは、数年単位で変化した。
そして、令和、わたしたちは毎年の様に何かが変化する時代を生きている。

こうした時代の変化のスピードは加速度が増している。
もはや、変化は止めようがない。
しかも、悪いことにその変化は予測すらできないのだ。
その事は、これまでの変化を見れば明らかだ。

今日子どもたちが学ぶことの多くは、子どもたちが大人になった頃に時代遅れになっている可能性が高い。

知識や情報を詰め込む教育から、4つの『C』に方針転換することが必要だという。

Critical thinking(批判的思考 )

Creativity(創造性)
Collaboration(協働)
Communication(コミュニケーション)

わたしが考える教育の目的は、『世界を理解する事』だと思う。

教育の成果によって、人は世界を見る目が変わるのだ。

絶えず学習して自己を改造する能力を高めよう。

変化する世界に柔軟に対応できる能力こそが重要だと思う。

『最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びる訳でもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。』

ダーウィンの言葉である。

 

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人生100年時代

人生100年時代とも言われています。

では、長い人生の中で、その人の運命が決まるのはいつ頃でしょう?

あなたか、あなたのお子さんが小学生なら、今後10年くらいの選択と決断、行動と学びが、その後80年の人生を決めてしまう可能性が高いです。

もちろん、志さえあれば、人生はいつでもやり直すことができます。
しかし、その決断と実行には、大きなリスクと代償が必要になるでしょう。

長い人生の中で、初等教育から高等教育に至る期間が最も重要な10年です。

よりよく生きるために、10年後の目標とビジョンを持ちましょう。

10年後、どうなっていたいですか?

日々の積み重ねが『みらい』を創ります。


10年後のために、今日できることをしましょう。

 

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自分とは何だろう?

「自分とは何だろう?」という問いかけは、自我の目覚め以来、一貫して、わたしがこだわり続けているテーマである。

人は年齢を重ね、経験を積むうちに、知識を増やす。
知識の量は、思考に大きな影響を与えるだろう。

宗教は、何百年も前から存在し、人の道や人生を説いてきたが、かつての先人たちは、進化論もDNAの存在も知らなかったし、ビックバンや相対性理論も知らなかった。

生物や宇宙の成り立ちへの理解は、世の中の解釈に影響があるように思う。

何を知り、何を知らないのかによって、思考は変遷をするだろう。

結局のところ、すべては途上なのだと思い知らされるばかりである。

だから、わたしは、誰よりも、遠くへ行きたいのである。

 

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サスティナビリティ(持続可能性)

太平洋に浮かぶ孤島、イースター島にはかつて巨大なモアイ像をいくつも作ることができるほど豊かな文明があったという。

絶海の孤島という閉ざされた空間の中で、森林破壊が進み、資源が枯渇しその文明はモアイ像を残して消滅していった。

 

過去の歴史の中で、一時期、豊かさを謳歌し繁栄した文明は世界中にたくさんあったように思う。

隆盛を極めたそれらの文明もその繁栄は永遠には続かなかった。

その理由は、サスティナビリティ(持続可能性)の観点が欠如していたからではないかと思う。

自然が産みだす資源以上の資源を消費すれば、やがて資源が枯渇してしまうというのは、単純な論理である。

その現象がイースター島という特定の地域で起こった出来事であれば、影響は限定的だが、地球規模で起これば大変なことになる。

 

今の地球は、世界的な規模でイースター島の悲劇を繰り返そうとしているのかもしれない。

 

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誰が言ったのか?

「正義ほど厄介な思想はない。」
という言葉を聞いた。

 

自己の正当性への過信が危険を孕む。
正義と悪という単純な二極化思想こそが危険なのだろう。

 

世界はファジーで、曖昧で、混沌としている。

 

そういえば、「善意ほど厄介な感情はない。」と言った人もいた。

盗人にも三分の理。

 

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無料の呪縛

人は「無料」の呪縛から逃れられないらしい。


昔から「タダより安いものはない」とか「タダより高いものはない」とか言われているが、タダである事が価値判断の思考停止を引き起こすのではないかと思っている。


日常生活においては、人は常に費用対効果の基準で取引をするが、費用がゼロになった瞬間、効果の評価はどうでもよくなってしまうからだ。


世の中には、お金で買えるものとお金で買えないものがある。


たとえ、タダであっても、いや、タダだからこそ、お金で買えないものの価値は無限大である。

 

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あるべき社会

若い頃、私がこだわり、知りたかった命題は、「自分が一体、何者なのか?」という事だった。
やがて、その疑問は、「私たちの社会がどうあるべきなのか?」という疑問に取って代わった。

さらに社会生活を送る中で、私の疑問は、「社会の現状をどう理解するのか?」と考えるに至っている。

あるべき社会がなになのかを模索しても意味はない。

なぜなら、価値観は多様で、未来は常に不確実なものだから。

現に生きている人々、つまり、私たちが現状をどうしたいと考えているかの総意こそが、今後のあるべき社会を形成していくのだろう。

社会全体を個人がデザインしても、うまく行った試しはない。

人々の社会に対する理解、認識が変われば、自ずと全体のベクトルも変わっていくだろう。

何が正しく、何を選択すべきかを自分で考える力を身につけることこそが重要だ。

個人は全体のために。
全体は個人のために。

その調和こそが、目指すべきゴールのような気がしている。

 

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