年齢を重ねるということ
年齢を重ねるということ
経験してみないと判らないことは多い。
年齢を重ねるという経験がまさにそれだろう。
経験は、わたしにとって確実に財産になっている。
経験というリソース。
その価値は、わたしにしか判らないが、誰かと共有することで活かされるかもしれない。
わたしには、時間もエネルギーも、若者ほど多くは残されていない。
限られた時間とエネルギーを有効に使いたい。
そのために成すべきことを考えよう。
あらゆることに選択の自由がある。
そのことに感謝。
弱肉強食
弱肉強食
世の中、強い者が勝ち、弱い者が負ける。自然の摂理です。
食物連鎖というと解りやすいかもしれません。
人間社会では、殺し合いは出来ないので
弱肉強食という概念は、経済活動における競争、せめぎ合いに例える事ができます。
経済活動自由の原則
アダム・スミスは、経済活動は人々が切磋琢磨する事によって、神の見えざる手によってすべてが収束すると説いていますが、現実はそんなに単純ではないようです。
説得力ある理屈は、物事の一面を単純化して見せているだけのように思います。
より強固な競争相手は常に出現し、想定外の出来事も常に起きます。
リスクを取る覚悟をして、常に前に進むしかないのです。
それこそが、唯一、生き残る選択肢であるように思います。
好奇心
人間の創造性の根源は『好奇心』である。
好奇心を満足させる行為は遊びである。
遊びによって得られるものとはなにか?
新しい何かを見つけたいという気持ち。
好奇心→観察→関係性→試み→気づき→遊び→学び→発見→納得→新たな疑問→最初に戻る
このサイクルこそが、人間の文明を推し進める原動力だろう。
世界は激変している
世界は激変している。
日本では、120年ほど前まで電気を使わない生活をしていた。
私の祖父が生まれた頃である。
私が生まれた頃でさえ、家庭電化製品はラジオくらいしかなかった。
1964年の東京オリンピックを境に家庭電化製品が急速に普及した。
21世紀になって、コンピュータ、インターネットが爆発的に普及。
そして現在、小学生までもがスマホ(高性能情報端末)を持つようになった。
私がここで言いたいのは、祖父の生きた時代、父親の生きた時代、自分が生きた時代、そして、私の子ども、孫が生きていくであろう時代は、どれも全く異なっているという事実なのだ。
人類300万年の歴史で、100年ほどのスパンで、これほど世の中が激変したい事は初めてだろう。