ayuminokuni’s diary

人生をよりよく生きるために

銃規制と核兵器

アメリカの銃規制問題は、核兵器の問題に似ている。

相手が攻撃してきた時に、反撃するために必要だというのが第一の論理だ。

反撃したからといって、攻撃された損害は取り返しがつかないが、少なくとも反撃されるかもしれないという可能性は、相手にとっての抑止力になるというのが、次の論理である。

そこには、自らの正義に絶対の信頼を置き、他者を信用しないという論理がある。

人類が長い生存競争の歴史を生き残ったのは、この論理のおかげかもしれない。

かくして人類は大繁栄を遂げたが、疑心暗鬼の刃は人類の生存、命の問題になってしまった。


核兵器はともかく、銃規制すら実現できない国をあてにすることはできない。 

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パラドックスの続き

引き続き、もう少し、昨日の問題を考えてみます。

◎昨日の問題

ふたつの封筒の中にお金が入っています。
入っている金額は判りませんが、片方の封筒には、もう一方の封筒の2倍の金額のお金が入っているという前提条件があります。
あなたとあなたの友人が、その封筒をひとつずつもらいました。
あなたは、封筒の中を見ると8万円が入っていました。
友人の封筒に入っている金額はわかりませんが、両者の合意が出来れば交換できます。
損得を考えた場合、あなたは、交換すべきでしょうか?

わたしが考えた答え、『交換をすべき』という根拠は、以下の通り。

友人の封筒には、4万円か16万円のどちらかが入っているはずです。
この場合の期待値は、(4万円+16万円)÷2=10万円ですから、もとの8万円より多くなります。

 

わたしは、期待値という概念を持ち出して交換した方が得という結論を出しましたが、今回のケースは、わたしと友人のもらう金額が異なるので、期待値という概念とは少し違うように思います。

期待値は、毎回同じ条件で数多くの統計を取ることによって理論値に限りなく近づくはずです。

今回のケースでは、ふたりに渡す最初の金額を8万円と4万円と決めてしまった場合、わたしは8万円と4万円を50%の確率でもらうことになり、最初にもらえる金額の期待値は、(8万円+4万円)÷2=6万円になります。

この期待値は、友人も同様です。

また、交換した場合にもらえる金額こ期待値も同様に6万円になってしまいます。

わたしの持っているお金を友人と交換し、いくらになったとしても、その反対側には交換相手の友人の存在があるから結局はゼロサムです。

わたしと友人の持っているお金の総額は変わりません。

それゆえ、『ふたりの間でお金を交換しても、損も得もない』というのが結論のように思います。

いろいろお騒がせしましたが、一応、自分なりに納得しました。

最初に考えた損得のイメージと、実際の損得が違うというトリックは詐欺などで使われるケースもあるのかもしれません。

自己過信は禁物です。

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パラドックス

数学の問題のパラドックスで、なぜなのか解らない問題があります。
解る方がいましたら教えてください、よろしくお願いします。

◎問題

ふたつの封筒の中にお金が入っています。
入っている金額は判りませんが、片方の封筒には、もう一方の封筒の2倍の金額のお金が入っているという前提条件があります。
あなたとあなたの友人が、その封筒をひとつずつもらいました。
あなたは、封筒の中を見ると8万円が入っていました。
友人の封筒に入っている金額はわかりませんが、両者の合意が出来れば交換できます。
損得を考えた場合、あなたは、交換すべきでしょうか?

◎ここまでが問題です。解らないのは、結論の根拠です。

わたしの結論から言えば、交換すべきと思います。

自分のもらった金額が多い方なのか、少ない方なのかは判りません。
問題は、交換した場合にもらえる金額が増えるか減るかです。
その確率は50%です。
不思議なのは、その期待値が常に1倍を超えていることです。

友人の封筒には、4万円か16万円のどちらかが入っているはずです。
この場合の期待値は、(4万円+16万円)÷2=10万円ですから、もとの8万円より多くなります。

実は、この考え方は、友人が封筒を交換すべきかどうかを考えた場合の結論と同じです。
友人の封筒にいくらが入っていたとしても同じことがいえます。
友人もまた、あなたと封筒を交換したほうが得という結論になるのです。

ここで不思議なのが、あなたのとっても友人にとっても「交換したほうが得」という同じ結論になるところです。

だからこそパラドックスなのですが、普通に考えれば、どちらかが得をすれば、どちらかが損をするはずです。
つまり、ゼロサムになると思うのです。
交換をしたからといって全体の金額が増えるわけではありません。

どうしてこんなパラドックスが成立するのでしょうか?

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料理

最近、ほぼ毎日夕食を作っている。

60の手習い、初心者だが、料理を作るという作業はなかなかに奥が深い。

最近は、クックパッドなど料理のレシピが掲載されているサイトが無料で使えるので便利だ。

手順は、こんな感じ。

献立を決める。
栄養のバランス。
食材の調達。
買った食材を無駄なく使う工夫。
下ごしらえ、下準備の備え。
食材、調味料の量を正確に計る。
複数の料理を程よいタイミングで完成させる。
盛り付けの美しさ、色取を考える。
などなど。

外食に比べると格段に安価で作れるが、手間と時間はかかる。

料理は、どれだけでも手抜きができる反面、どこまで手間をかけても完璧ということはない。

そこが面白いところかもしれない。

 

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無差別テロ

アメリカのラスベガスで、また無差別テロがおこった。

犯人は、ホテルの32階から自動小銃を無差別に何百発も乱射したのだ。

数十人が亡くなり、数百人が怪我をしたらしい。

犯人は犯行後、自殺をしてしまったので、動機や背景は解っていない。

詳細が明らかになれば、犠牲者は更に増えるだろう。

見ず知らずの人を道連れに自殺を謀るほど世の中に対する恨みとは何だろう。

犯行の場所が、地上32階だったことが災いしたように思う。

被害者が遠くにいて、はっきり見えなければ人を殺すことの罪の意識は薄くなるだろう。

このことは、核のボタンを押すことにも通じるように思う。

核のボタンを押した人は、その結果どのような惨劇が起こるのかを見ることはない。

想像力の欠如が悲劇を生む。

一線を超えないための救いは何だろうか。

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ポピュリズムとカリスマ

小池百合子氏の「希望の党」がマスコミを席巻している。

この現象をはたして「ポピュリズム」と呼ぶのだろうか?

ちょっと違うように思う。
また、どこかの国の大統領よりは、ずっとましなようにも思う。

言うまでもなく、森友加計問題や様々な不祥事で、安倍一強に嫌気がさした国民が自民党以外の選択肢を求めていたという背景は確かにある。

北朝鮮問題に対する強気の姿勢でやや支持率が回復し、民進党が弱体化しているのを見て、安倍首相がここしかないというタイミングで衆議院解散という切り札を出したが、解散発表の1時間前というタイミングで、小池百合子氏も「希望の党」の設立をマスコミ発表した。

安倍首相にしてみれば、思いがけないカウンターパンチだっただろう。

当初「希望の党」は第二民進党と揶揄されたが、そうではない。

希望の党」は、第二自民党、本来の二大保守政党政治を目指しているのではないかと思う。

民進党の右派を取り込み、民進党の左派を切り捨て、安倍首相に批判的な自民党の一部まで取り込もうとしているのではないだろうか。

あとは、どう風が吹くか、浮動票がどう動くかで勝敗が決まる。

政治は、一次的なブームと求心力で決まるのだと思う。

論理よりも情緒的なカリスマが支持を集めるのだろう。

もとより、ブームはやがて去るが、カリスマは残る。

所詮、人間も猿山のボス猿と同じで、最終的にはカリスマが求心力の核となるのだろう。

どのボス猿がいいのか、しっかりと見極めたい。 

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